
塩谷 知子さん
中学時代からめざした翻訳者に
プロフィール
英日・日英翻訳者兼校正者。中学生の頃に「翻訳」という仕事を知り、将来の夢に。外国語大学英米語学科(認知言語学専攻)を卒業後、仕事をしながら土曜日や仕事終わりにフェロー・アカデミー、特許専門の翻訳学校に通い、翻訳技術を学ぶ。
その後、翻訳会社に転職。コーディネーター、校正の仕事を経て、結婚を機に地元にUターン、フリーランス校正者となる。特許明細書の校正から始めたフリーの仕事だが、その後ファッション、コスメ、映像等、他分野の翻訳も経験。現在は特許明細書の翻訳を主に、その校正や、安全保障ビジネスの企業からも翻訳案件を受注(英日・日英の契約書や製品の仕様書、ニュース記事等)。
2人の子供の出産、育児に追われつつも続けてきたフリーランス生活も今年9年目を迎える。夢だった仕事を続けることができている現実に感謝しつつ、今後もより一層高い品質の翻訳を提供していきたい。趣味は旅行、読書、サッカー観戦。
おもに特許文書の英日翻訳
加賀山 :本日は三重県で実務翻訳をしておられる、塩谷知子(しおたに ともこ)さんにお話をうかがいます。プロフィールを拝見しますと、いまはおもに特許関係の翻訳をされているのですか?
塩谷 :はい。特許文書がメインです。あとは安全保障の会社の仕事をしていまして、契約書とか、自衛隊で使うような装備の仕様書といったPDFやパワーポイント資料を訳すこともあります。
もともとオンサイトで翻訳会社に勤めていまして、そのときに校正、いわゆるチェッカーの仕事を長くやっていました。仕事で扱ったのが特許の明細書で、結婚を機に退職してフリーランスになったあとも引きつづき登録チェッカーになりましたので、結果的にいまも特許が多くなっています。
加賀山 :翻訳も特許が中心ですか?
塩谷 :そうですね。昨年度まで仕事の8、9割は校正でしたが、今年度から特許の明細書の翻訳が増えてきて、メインになりました。いまは校正と翻訳の割合が逆転して1対9ぐらいになっています。

仕事部屋を作っていた時期もあったが、現在は家事・育児との兼ね合いを考え、敢えてリビングの一角を作業スペースに。
加賀山 :英日も日英もあるのでしょうか?
塩谷 :明細書は英日です。
加賀山 :一方、契約書というのは装備の売買契約のようなものですか?
塩谷 :おもに海外企業が製造した装備を日本に紹介したり、納品したりするときの契約書や文書です。契約している企業が発信するニュース記事を訳すこともあります。自衛隊の訓練の様子や、日本政府が海外諸国と締結した協定の内容に関するもの等で、この記事には日英の翻訳もあります。
加賀山 :その企業のお仕事は翻訳会社を経由しているのでしょうか。それとも直接やりとりするのですか?
塩谷 :直接です。たまたまなんですが、仕事が減ってきたので量を増やそうと思ってネット検索したところ、「ママのための在宅ワーク」みたいなサイトがあったんですね(笑)。そこにデータ入力とかに混じって「翻訳」の仕事があったので申しこんでみたところ、いまの安全保障企業の仕事でした。募集の条件では時給で働くということでしたが、結局ほかのフリーランスの翻訳と同じようにワード単価の方式で採用して頂きました。まさかそんな経緯で本格的な翻訳の仕事が見つかるとは思ってなくて(笑)。
加賀山 :私も初めて聞きました(笑)。そんなこともあるんですね。特許関連の仕事に機械翻訳は使われてきていますか?
塩谷 :私が翻訳会社にいた8年程前にも機械翻訳を導入しようという動きがあって、翻訳ソフトやメモリの活用を検討する専門部署もできました。そういう流れがここ3、4年で一気に加速していて、翻訳会社さんのほうから、このソフトや翻訳メモリを使ってくださいと指定されるようになりました。私はいま特許関係の翻訳会社、3社と契約していますが、翻訳会社によってそれぞれ使うソフトが違うので、対応するのが少したいへんです。
加賀山 :送ってこられる原文を自分でそのソフトにかけるということですか?
塩谷 :原文と機械翻訳の訳文がソフトに入った状態で送られてきて、私はそのソフト上(ウェブブラウザ上)で翻訳をしていきます。ただ、送ってこられる訳文がそのまま使えるということはなくて、ほとんどこちらで直しますね。もちろん、機械翻訳は同じ内容をくり返すようなところは強いので、上手く活用できるところもありますが。
加賀山 :以前、特許の翻訳をされている方にインタビューしたときに、機械は申請内容をまとめるようなところがうまくできないとおっしゃっていました。
塩谷 :「クレーム(特許請求の範囲)」の部分ですね。独特の訳し方があります。それも翻訳メモリにどんどん蓄積していって機械でできるようにしようという流れではあると思いますが、いまはどうしても冠詞の扱いとか用語などについて人間が手を入れなければいけません。最初から自分が訳したほうが速いことも多いです(笑)。
加賀山 :まだ人の手が必要なんですね。
塩谷 :機械翻訳はこの3、4年で一気に進みましたが、急に人に取って代わるかというと、そうでもないような印象です。出版翻訳になると、もっと難しいかもしれませんね。
加賀山 :契約書のほうも機械翻訳が進んでいますか?
塩谷 :そちらは私がTradosを使って一から訳しています。その会社さんの事情として、これまであまり翻訳メモリのようなものを使ってこなかったのかもしれませんが。
加賀山 :いまは何社ぐらいから仕事が来ていますか?
塩谷 :登録自体は6社ほどありますが、メインで受けているのは4社です。そのうち3つが特許関係で、ひとつが先ほど説明した安全保障の会社です。
加賀山 :プロフィールに書かれている実績には、ファッション、コスメ関連もありますね。
塩谷 :それらのPDF資料の翻訳もありましたし、ジュエリーなど宝飾関係の講座のビデオや、時計のブランドのホームページのようなものも訳しました。最近はあまり受けていません。
加賀山 :校正の仕事も長くされていましたが、校正者の立場から見て、翻訳者が気をつけるべきことはありますか?
塩谷 :誤訳や抜けがないことはもちろんですが、脱字、変換ミス、数字ミスなどのケアレスミスがないように、翻訳後に全体を通してチェックすることが大事です。今はそういったミスを防ぐための専用のツールもいろいろありますから、上手く活用されるといいと思います。
また、基本的には訳揺れ(同じ原語に対して異なる訳語を当てること)がないように文章全体の統一感を保つことも大切ですが、中にはこの意識が低い翻訳者の方もいます。細かくタームリストを作成しつつ、丁寧に訳していくことが大事ですね。
翻訳会社勤務からフリーランスの翻訳者へ
加賀山 :経歴についてうかがいます。2011年にフェロー・アカデミーで「翻訳入門」を受講しはじめました。これはもう最初から「翻訳をやるぞ」という意気込みで(笑)受けたのですか?
塩谷 :中学生のころから翻訳を仕事にしたいと思っていて、外国語大学の英文科に進みましたが、地方出身なので、まわりに何も情報がなかったんです。じつは学生時代にも一度、アメリアに登録して冊子などを読んでいたのですが、本当にそれぐらいしか情報がありませんでした。
そのあと就職でしたが、新卒で募集している翻訳会社はほぼないという感じで、聞いた話によると、私が転職後に勤めた翻訳会社でも私が新卒の就職活動をしていた時期の3年後に初めて新卒を雇ったというような状況でした。そこでまず翻訳とは無関係の、教育系の会社に就職しました。でも翻訳をやりたいという夢をあきらめきれなかったので、東京に出てきて、平日は派遣で働き、土曜日は学校にかようという生活を送りました。
加賀山 :「翻訳入門」から「実務基礎」、「IT・テクニカル」と上の段階に進まれました。これらは半年の講座ですか?
塩谷 :そうですね。すべて半年でした。その後、特許翻訳専門の翻訳スクールにも半年かよいました。最初はとくに特許を専門にしようとは思っていなかったんですが、アメリアの情報を見たりするなかで、これから何か専門性を身につけるとしたら、扱う内容は多様でも、ある程度型が決まっている特許文書がいいかなと考えました。私は決まった形式があったほうが安心できるタイプなので。
加賀山 :ITなどを学びつつ特許に的を絞ったわけですね。特許の専門学校にかよわれたあと、翻訳会社に就職したのですか?
塩谷 :はい。派遣会社に勤めていたときに、翻訳がしたいということを上司の方に伝えていて、そういう仕事をまわしてもらったりしていたので、その実績と、翻訳学校での学習歴で採用して頂きました。
その翻訳会社では、翻訳者の調整をしたりスケジュールを立てたりするコーディネーターの仕事をしました。その後、別の翻訳会社に転職して、特許の校正をするようになったんです。

Googleカレンダーと並行して手帳でもタスク管理。バレットジャーナル形式で1日のタスクをすべて書き出すことで効率UP。
加賀山 :それぞれ何年ぐらい勤められましたか?
塩谷 :最初の会社は半年、次の会社は3年ぐらいでした。
加賀山 :フリーランスの翻訳者になろうと思ったのはいつごろでした?
塩谷 :もともと在宅で働けるところにも惹かれて翻訳の仕事を考えていたので、いずれはフリーになりたいと思っていましたが、ちょうど結婚しましたので、その機に会社を辞めました。
加賀山 :いま三重県にいらっしゃるということは、地元の方と結婚されたとか?
塩谷 :そうです。出会ったのは京都の大学時代でしたが、夫もたまたま三重県で就職することになったので、私も帰ろうかなと。
加賀山 :なんだかうまい具合になりましたね(笑)。中学生のころから翻訳をしたかったというのは、本をよく読んでいたとか、英語が好きだったとか、そういう理由からですか?
塩谷 :じつは中学校の最初のころは英語がいちばん苦手教科で、嫌いだったんですが(笑)、母が勧めてくれたNHKのラジオ講座がおもしろくて、好きになってきました。そのタイミングで、ハリー・ポッターがすごく流行って、私も読んだんです。その本のカバーに翻訳者の方のプロフィールが載っていて、翻訳という仕事があることを知りました。当時私は国語のほうが好きだったので、「国語と英語の両方がやれるんだ」と思ったのと、在宅の仕事で、子育てと両立できそうなところに魅力を感じました。
加賀山 :なるほど。昔から翻訳者をめざしていたんですね。
塩谷 :夢は持っていたんですが、実現するのにはなかなか時間がかかりました(笑)。
加賀山 :国語がお好きだったということは、本もたくさん読まれたんでしょうね。学生時代、情報収集のためにアメリアに入っていたということですが、一度やめてまた入り直したのですか?
塩谷 :そうです。最初の就職で翻訳と関係のない方向に進んでいたので、いったんやめました。その後、やはり翻訳をしたいということで、学校にかよいだしたタイミングで再入会したんです。
加賀山 :アメリアに入ってよかったことは何でしょう?
塩谷 :まず、毎月送ってくる冊子で情報を得られることですね。地方に住んでいるとなかなかそういう機会がありませんので。ほかの翻訳者さんの意見とか、学習している方の情報が参考になります。
あと、求人情報がHPにたくさん掲載されているので、私もフリーランスをしているこの8年ほどのあいだに、仕事が減ってきたときやもっと増やしたいと思ったときに気軽に検索できて助かっています。
加賀山 :いま登録している翻訳会社もアメリアのトライアルがきっかけだったのでしょうか?
塩谷 :1社は、たまたまスケジュールが空いていた時期にアメリアの有償トライアルに応募しところ、登録まで進むことができました。あとは、勤めていた時代から繋がっている翻訳会社や、特許の翻訳スクールにかよっていたときの同期の方が働いていた翻訳会社です。もともと海外の翻訳会社なんですが、日本支社を立ち上げるときにその方が初期メンバーとして入って、そこからのおつき合いです。
加賀山 :いま子育て中ということですが、お仕事との両立はたいへんですか?
塩谷 :そうですね。3歳と5歳の女の子ですけど、なかなか……。
加賀山 :いちばんたいへんな時期ですね。
塩谷 :いまはふたりとも幼稚園にかよっているので、平日の日中はそのあいだに仕事をしていますが、まだ自分でいろいろできる年齢ではありませんから、ふたりが5時ごろ家に帰ってきたら、仕事関係のことはまったくできなくなります。
加賀山 :平日の夜と週末はあきらめるという感じですね。
塩谷 :なので、スケジュール管理がすごくたいへんで、平日に終わる分だけ仕事を受けるようにする計算が必要です。土日で取り返すようなことができないので。自分がどのくらいできるのかを把握してスケジュールを組む管理が、仕事全体のなかでも3、4割を占めているような気がします(笑)。
加賀山 :いまはどの仕事も納期は短いんでしょうか?
塩谷 :どちらかというと校正のほうが短いので、校正をメインにしていたときよりはいまのほうが少し余裕がある感じですが、複数社から依頼を頂いていますから、スケジュールが少しずつかぶっていて、この納期が早めだからこっちを先にしようとか、組み立てがすごく難しいんですね。基本的にひとつずつやらないと頭がパンクしてしまいますので、優先順位を決めて取り組みます。
加賀山 :具体的には1件につき何日ぐらいでしょうか?
塩谷 :分量にもよりますが、校正であれば2日とか。翻訳なら2週間ぐらいまであります。
加賀山 :2週間あれば、週末に仕事ができなくても取り返せそうですね。
塩谷 :そうですね。子供がまだ小さいので、急にふたりとも病気になることがしょっちゅうですが、それでもスケジュールに余裕があれば取り返せます。
特許翻訳のクオリティをさらに上げたい
加賀山 :今後のことをうかがいます。特許の翻訳をきわめたいとか、あるいはほかの分野を手がけたいとか、お考えはありますか?
塩谷 :翻訳の仕事が中心になったのは今年度からですので、いまはもう少し特許翻訳のクオリティを上げたいです。自分で勉強する時間がなかなか取れないので、子供が大きくなるのに合わせて、勉強や情報収集の時間を増やし、クオリティの高い翻訳を提供できるようになりたいという気持ちがあります。
加賀山 :もっと将来的にはどうでしょう?
塩谷 :将来的には、もともと書籍の翻訳をめざしていましたので、何年先になるかわかりませんが、そういう機会があれば挑戦したいです。
加賀山 :インタビューでいろいろな方のお話をうかがっていると、実務翻訳をやりながらチャンスがあれば出版翻訳も、という方がけっこういらっしゃいますね。出版翻訳は、それこそ納期は何カ月もあって長いんですけど、収入の大きな波があるので、必要なときに足りなくなる可能性というか、キャッシュフローがまわらなくなることがあります。だから、実務翻訳で比較的短いあいだに定期的にお金が入ってくると安心ですね。
塩谷 :それが理想かもしれません。

昨年末に初めて子連れで海外旅行に。今後は年1回の海外旅行を目標に、家族の思い出もたくさん作っていきたいです。
加賀山 :ふだんはどんなものを読まれますか?
塩谷 :昔は海外のファンタジーとか、冒険物が好きだったんですが、大人になるにつれてノンフィクションが増えてきました。ただ、読みたいんですけど、いま本当に時間がなくて……。
加賀山 :そうですよね。お子さんが小さいうちはしかたありません。
塩谷 :このインタビューのまえにも加賀山さんの本も読もうと思ったのに、読めませんでした。訳された本でお薦めはありますか?
加賀山 :なんでしょう……アガサ・クリスティーの『葬儀を終えて』とか? ほかの有名作に比べると地味なんですが名作なので、もしご興味があれば。
私の訳書は殺人とか暴力が多いから、子育て中のお母さんにはあまり向いていないかもしれません(笑)。あと、ディケンズはやはりおもしろいです。
塩谷 :ミステリーも大人になってから読むようになりましたが、展開があっておもしろいですよね。
加賀山 :ハリー・ポッターとかお好きだったのなら、ミステリーもいけると思います。
最後に読者の方に何かアドバイスなどあれば、うかがえますか?
塩谷 :皆さん、仕事をされるなかで自分に向いているとか、できそうだということで翻訳者になられることが多いと思います。でも私は、大人になってから翻訳者になろうと考えたのではなくて、中学生のときからなりたかったんですね。
とくに私みたいなタイプの方に言いたいのは、「あきらめないで」ということです。私はとくに英語の成績がよかったわけでもありませんが、つねに心のどこかに「チャンスがあればつかんでやろう」という気持ちがあって、たとえば先ほど少しお話した、翻訳スクールの同期の方がアメリカの翻訳会社の日本支社の立ち上げに伴って翻訳者を募集していたときにも、すぐに申しこみました。あとでその方に聞いたら、同期全員に案内を出したものの返信したのは私だけだったそうなんです。
加賀山 :なるほど。
塩谷 :そういうふうに、何かチャンスがあったときに「行こう!」と考える気持ちが大切だと思います。トライアルにひとつ落ちたからといって、それはその企業の方針に合っていない翻訳だった、その企業に向いていなかっただけ、ということもあって、翻訳のクオリティそのものは低くない場合もあると思うので、何社も何社もトライしてみるのが大事ではないでしょうか。
■ いいアドバイスですよね。たしかに、自分も含めて、いま翻訳をしているなかで中学生のころからずっと翻訳の仕事をめざしていた人は少ないと思います。夢を叶える方法はいろいろあるでしょうが、「小さなチャンスを確実につかむこと」というのは説得力が(迫力も)ありますね。