アメリア会員インタビュー

第20回 中井 さやかさん

第20回
翻訳がこんなに自分に合っているとは考えもしませんでした 何事も、やってみなければわかりませんね
  中井 さやかさん
Sayaka Nakai


中学一年生からいきなり英語漬けの生活に べそをかきながら宿題をしました

坂田:本日のお客様は、昨年の春に東京から大分に引っ越しをされて、現在は大分で通訳・翻訳の仕事をなさっている中井さやかさんです。アメリアに入会して1年という中井さんに、地方在住者ならではの苦労なども含めて、お話を聞かせいただきたいと思います。中井さん、よろしくお願いします。

中井:こんにちは。よろしくお願いします。

坂田:中井さんは中学・高校時代をアメリカで過ごされたそうですね。

中井:はい。父が駐在員で、ニューヨーク事務所に赴任したために、家族でついていきました。私が中学1年生の時のことです。1ドル280円の時代で、飛行機はアンカレッジ経由。パスポートは家族旅券で、一度帰国したら取り直さなければならないなど、今とは隔世の感がありましたね。東京郊外に住む、普通の田舎臭い中学生でしたので、ニューヨークは目が眩むような印象でした。

坂田:ニューヨークでは、学校はどのようなところに通ったのですか?

中井:当時は、英語圏先進国は教育程度が日本と同等か高かったため、日本人学校の必要はないとされていましたので、私も現地の公立学校に放り込まれました。西海岸ではELS(English Language Services:米国国務省の要望と協力によって1961年に設立された外国人に対する英語教育機関)に入ってから現地校へ入るのだと聞いてびっくりした覚えがありますが、私が住んでいた場所ではELSはおろか、英語を話せない子どものための特別な教室もなく、英語の時間に現地の子どもたちと一緒に“リーディング”(読み書き能力訓練)をやるだけでした。子どもはすぐに慣れるから、言葉の習得も早いだろうと信じられていたのです。でも、2年いてもひと言も英語が話せない子どもがいるのも常識でした。在米中に「ニューヨーク日本人学校」ができましたが、当時はアメリカに適応できない子どもと受験に熱心な家庭の子どもが行くところという感じで、私たちには人ごとでした。

坂田:中井さん自身は、英語はすぐに身につきましたか?

中井:私の英語は、「登校拒否もおこさずに学校に行って教室に座っている」「宿題だけは日本人同級生に聞いたり、両親に手伝ってもらったりしながら、真夜中までかかっても、べそをかきながらでもやる」「週1回家庭教師に来てもらう」「夏には私たち兄弟(妹と弟がいます)だけしか日本人がいないサマーキャンプで1カ月を過ごす」とやっているうちに、半年後には学校の先生が言っていることがわかる程度にまで上達しました。その後は、通っていた学校が熱心な進学校で、習熟度別制度を採用したことが幸いして、勉強漬けの日々となり、高校は公立としてはかなり評価の高い学校を良い成績で卒業することができました。

坂田:当時、子どもの目から見たニューヨークは、どんな街でしたか?

中井:今とは違って、危険で、汚くて、財政破綻していたからめちゃくちゃで、それでも非常に魅力的な街でした。よく言われるような、のびのびとした明るいアメリカ生活とはちょっと違っていたかもしれませんが、今でも私は自分のことを“ニューヨーカーだな”と思うことがあります。

坂田:どういうところで、そう思うのですか?

中井:「自分の人生は自分のものだ」と思っているところでしょうか。友人はたくさんいるし、ご近所付き合いも上手くやっている。でも、基本的には自分はひとりだと思っていて、ちょっと自己中心的かもしれないけど、それを否定的にはみない。結果の平等よりも機会の平等を重んじる。それと、多人種、多言語が平気で、一流の場所、一流の人たちを恐れないプライドでしょうか。

坂田:う〜ん、鋭い分析ですね。確かに、日本人は結果の平等を重んじますよね。

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