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情報・コラム
アメリア会員インタビュー
中純子さん
坂田
:みなさん、明けましておめでとうございます。2005年最初は新春スペシャルゲストとして実務翻訳家でアメリア名誉会員の中純子さんをお迎えしています。中さんは、専業主婦として子育てをしていた30歳の頃、広島で翻訳のお仕事を始められたそうです。地方在住のフリーランス翻訳者として、どのように仕事を開拓していったのか、そのあたりのお話をたっぷりと伺いたいと思います。また、今年から定例トライアル〈実務〉の審査員をしていただくことも決まっていますので、それについてもお聞きしたいと思います。中さん、よろしくお願いします。
中
:よろしくお願いします。
坂田
:まずは翻訳をするようになったきっかけから教えていただけますか?
中
:はい。翻訳というものに初めてふれたのは、私が30歳の時でした。ちょっと遅いですよね(笑)。当時はまだ翻訳や通訳という仕事は、すごく盛んというわけではなくて、ごく一部の人がやっている職業でした。私の住んでいる広島では、プロでやっている人などほとんどいません。いたとしても社内翻訳者という感じで、今のようなフリーランスの形態はすごく珍しかったんです。
坂田
:もともと広島のお生まれなんですか?
中
:そうです。高校も大学もずっと広島で、広島から出たことがなかったんですよ。
坂田
:翻訳をはじめる30歳までは、何をなさっていたのですか?
中
:大学を卒業した後、しばらく会社に勤めたのですが、24歳の時に結婚して、すぐに子どもが2人できたんです。それまで遊びほうけていたのが、突然まったく遊べなくなって……。ずっと家にいて、小さな子どもと顔をつきあわせているのは結構ストレスがたまるもので、何か熱中するものを探していました。そこで、中学生の頃から好きだった英語を、もう一度、勉強しようと思ったんです。ただ、家でできることといえば読むことぐらいですよね。それでも、何でもいいから、とにかく今のうちに何かをやっておこうと思って、辞書を引きながら英語を読むことをはじめました。それが28歳ぐらいの時です。家事と育児の合間を見つけてはペーパーバックを読んでいました。
坂田
:では、その時は翻訳者になろうというわけではなく、趣味で英語を勉強しようという感じだったわけですか?
中
:そうですね。何か目標があったほうが励みになるだろうと思ったので、とりあえず英検1級でも取ろうかなと思っていました。
坂田
:翻訳をはじめたのは、それから2年後ということですか?
中
:はい。下の子が3年保育の幼稚園に入って、午前中に少し子どもの手が離れる時間ができたので、その時間を利用して何かしようと思って。たまたま新聞に小さな翻訳会社をしている人が、自分の仕事を手伝ってくれる人を養成する目的で人材を募集している記事が出ていたんです。2、3行の小さな記事だったんですが、友達が見つけて教えてくれて、それで、そこに習いに行くことにしました。
坂田
:それは、仕事をするのではなく、翻訳会社がやっている翻訳学校ということですか?
中
:ええ、でも翻訳学校というほど大規模なものではなく、生徒は私を含めて3人だけでした。そこは、習いに来ている人に下訳をどんどんさせるという方針だったので、通い始めてから2週間後ぐらいには、ちょっとしたお仕事をいただきました。私が特に優秀だったということではなく、みんなそんな感じだったんです。下訳ですから単価は安いですけど。お月謝を払いながら、下訳料も少しはいただいて……という感じでしたね。
坂田
:たった2週間で下訳とはいえ仕事をさせてもらったというのは意外だったのでは?
中
:思ってもみなかったので、すごく嬉しかったです。2年間ずっと、あてもなく勉強していたので、どんな形であれ仕事にできたという喜びはすごく大きかったです。
坂田
:そこでは、どのような内容の翻訳をなさっていたのですか?
中
:広島は製造業が盛んな土地なんです。だから、エンジニアリング関係の文書が多かったですね。最初は和訳をやっていたのですが、その翻訳会社は仕事の9割が英訳だったので、英訳もやりました。
坂田
:そうですか。これが中さんの翻訳者としてのスタートというわけですね。
中
:そうです。下訳でしたので、エンジニアリング関係以外にも、来る仕事はなんでもこなしました。広島は移民が多いので、養子縁組や婚姻関係の法律文書を訳したり、それから広島市の平和記念館に訪れた人が残したメッセージを訳してくれと言われたこともあります。外国から広島市の平和の関係の部署に来た手紙の訳や、とにかく何でも経験させてもらいました。仕事を選んではいられないということもあったのですが、翻訳者としてとても勉強になったと思います。
坂田
:地方とはいえ、翻訳の仕事をする上で、広島という土地柄はよかったのかもしれませんね。
中
:一応国際都市と言われていますし、ふつうの地方に比べると翻訳の需要は多いほうだったんじゃないでしょうか。その会社の下訳の仕事が、それから7年ぐらい続きました。当時はパソコンもなく、翻訳はみんな手書き。もちろんインターネットもなく、ファックスも家庭にない時代でしたから、地方在住の者が東京のお仕事をいただくということは、まったく考えられないことだったんです。
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