
岡田:10年近く着実に勉強に励まれたんですね。その頃の思い出を聞かせていただけますか?
寺尾
:まず思い浮かぶのはつらかったことですね。先が見えないというのがつらかった。「いつか本当に翻訳を仕事にできるのか」という疑問が常に頭から離れませんでした。会社員の友人たちが着々とキャリアを築いていくのを横目で見ながら、「自分は好きな道に進んでいる」という自負を持ちながらも、心のどこかで引け目を感じていましたね。それから、下訳をさせていただいたときに、先生に「バツ!」と一刀両断されたときには、もう翻訳の道はあきらめたほうがいいのではと悩み、少し勉強を休んだこともあったくらいです。
岡田:今は大活躍の寺尾さんにもそんな時代があったと聞くと、ちょっと励まされます。本当に落ち込んだときはどうやって乗り越えていたんですか?
寺尾
:精神的なことで言えば、昔流行った自己啓発本をヒントに、未来のデビューできた自分を想像して頑張っていましたね。どのくらい効果があったかはわかりませんが(笑)。
岡田:ご自分を鼓舞なさってたんですね。良い思い出はいかがですか?
寺尾
:良い思い出は、同じ道を志す、良い友人ができたことです。授業のあとの先生やクラスメートとの「一杯」はとても楽しかったですし、当時の友人たちとはいまも親しくさせていただいています。翻訳の仕事を続けている方も多いので、お互いに情報交換をしたり。つらい時期を一緒に乗り越えてきたので、その絆は強いと思います。
岡田:つらい時期を乗り越えた戦友たちがいるんですね。やはり皆さん、日々の努力を重ねて腕を磨いたということですね。
寺尾
:勉強を重ねてきていても、どうすれば世に出ることができるのか、どうすれば仕事につなげられるのか、それもとても悩みましたね。せっかく先生に編集者さんを紹介していただいても、その方が編集以外の部署に移ってしまわれたり……。悩みながらも、少しでも仕事につながりそうなセミナーなどに通っているうちに、少しずつ道が開けた実感がありますね。
岡田:お時間もかかったようですが、一歩一歩チャンスに向かって進まれた印象です。
寺尾
:本格的に仕事をするまでには時間がかかりました。2週間に一度か、月に一度ほど勉強会に通っていましたが、ようやくそこでリーディングのお仕事をいただくようになりました。その関係でいろいろな方にご紹介をいただいて、少しずつ広がっていきましたね。下訳をしたり、名前は表に出なくても、ノンフィクションの仕事を一部やらせていただいたり……。そういう細かい仕事をいくつかやらせていただいているうちに、『イチロー ― メジャーを震撼させた男(朝日文庫)』という急ぎの仕事を共訳者の清水由貴子さんと2人でやらないかというお声がかかりました。
岡田:野球に詳しいのですか?
寺尾
:中学、高校とソフトボール部だったんです。急ぎの仕事だったので「野球がわかるひと」ということで選ばれたという話を聞いたことがあります。チャンスはどこにあるかわかりませんね。