アメリア会員インタビュー


子供の頃から本が大好き! 30歳を過ぎてから、ミステリー翻訳家になることを決意

濱野 :子供の頃から翻訳家を目指していたんですか?

喜須海 :いえいえ、翻訳家を目指そうと思ったのは、実は30歳を過ぎてからのことです。

濱野 :へえ、そうなんですね。もともと本がお好きだったんですか?

喜須海 :そうですね。子供の頃からとにかく読書が好きでした。小学校のときは、両親が買い与えてくれた「少年少女世界文学全集」を片っ端から読みました。あと、百科事典が家に一式あったので、普通の本みたいに初めの「あ」から順に読んでいったりして(笑)。「今日はここまで読んだよ」と自慢げに親に言ったら、「百科事典はそういうふうに読むものじゃないんだけど……」と困った顔をされたのを覚えています。

濱野 :百科事典を読む少女って、すごいですね(笑)。他にどんな作品や作家が好きでしたか?

喜須海 :世界の文学全集を一通り読んだあと、自分で作品を選ぶようになってからは、星新一のショートショートとか、横溝正史が大好きでした。中学生の頃からは、アガサ・クリスティに夢中になりました。部活が終わって、帰宅してご飯を食べたあと、自分の部屋にこもってクリスティを読む―それが至福のときでした。

濱野 :当時からミステリーの翻訳物がお好きだったんですね?

喜須海 :自然と外国物のミステリーを読むようになっていました。クリスティから入って、エラリー・クイーンとか、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』も大好きでした。イギリスの本格物に特に惹かれて、P・D・ジェイムズにコリン・デクスター、レジナルド・ヒル……。女性が書いた女性探偵物が流行っていた時期は、サラ・パレツキーとかスー・グラフトンとか、好んで読みました。大学を出て会社勤めしていた頃は、一番読書量が多かったかもしれません。通勤電車の中ではずっと本を読んでいましたね。

濱野 :本好きなのがひしひしと伝わってきます。ぼくも見習いたいです(笑)。その頃から、原書も読んでいましたか?

喜須海 :いえ、実は私、翻訳者を目指してフェロー・アカデミーに入るまで、洋書を最初から最後まで一冊読んだことがなかったんです。

濱野 :ということは、シンプルに読書が好きで、日本語で読んでいたということですね。英語力はどのように身に付けたんですか?

喜須海 :中学・高校と洋楽が好きで、自然と英語に触れてはいましたが、本格的に勉強したのは大学卒業後です。勤めた会社が外資系の半導体メーカーで、日常業務としてアメリカ本社や各国の支社とのやり取りで英語が必要になって、改めて徹底的に勉強しなおしました。

濱野 :つまり、「読書は読書」「英語は英語」とずっと別々で、翻訳には結びつかなかったわけですね。そのふたつが、どこで交差するようになったのでしょう?

喜須海 :30歳を過ぎたころ、仕事帰りにふらっと寄った書店で、翻訳のムック本をたまたま立ち読みしたんです。フェロー・アカデミーのことや、のちに恩師となる田口俊樹先生の誌上翻訳講座を読んで、初めて出版翻訳家という仕事を意識しました。

濱野 :翻訳書ならたくさん読んでいるし、英語力も会社である程度つけたし、ぴったりだな、と。

喜須海 :ええ。さらに、そのムック本に「翻訳は英語力よりも最後は日本語の勝負」みたいなことが書かれていて、「読書量だけは人に負けていないし、勉強すればなんとかなるかも」と思ってしまって。まあ正直に言うと、ちょうど会社を辞めたかった時期と重なったというのもあるんですけどね(笑)。それで、思い切ってやってみようと決意して、会社を辞めて勉強を始めました。

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