アメリア会員インタビュー


トライアルに合格し、初めての訳書を刊行

坂田:タイに住むようになったということで、まだインターネットが発達する前ですから、翻訳の仕事をするのは難しいですよね。独学を続けるのも強い意思が必要な気がしますが。

大沢:その時は気持ちを切り換えて、せっかくタイに住むんだからタイの文化や言語を勉強しようと思いました。でも、翻訳の独学は細々と続けました。雑誌のコンテストに応募するとか。タイで3人目の子どもが生まれましたが、あちらではメイドさんが家事のかなりの部分を担当してくれるので、自分の時間もけっこうありました。

坂田:タイ語どのくらいできるようになりましたか?

大沢:週に1、2回、タイ人の先生が家まで来てくれてマンツーマンで教わりました。日常会話ぐらいはできるようになりましたね。タイ語は文字が難しいので、残念ですがそこまでは習得できませんでした。言葉だけでなく、タイの文化を肌で感じることができたことが貴重だったと思います。

坂田:タイは、私には観光地としてのイメージしかありませんが、実際に住んでみて感じたことは?

大沢:日本と同じアジア人ですが、タイの人は根が本当に明るいというか、日本人の気質とはちょっと違うなと感じました。タイ語に“マンペイライ”という言葉があるんです。日本語に訳すと「大丈夫。何でもないよ」「うまくいくよ」というような意味なのですが、タイの人は悩みがあっても、まず“マンペイライ”と言うのだと家庭教師の先生が教えてくれました。暑い国ですから、くよくよ考えてはいられないのだそうです。実際に私が接したメイドさんや家の修理をしてくれるおじさんも、みんなとても明るくて、何かあれば集まってご飯を食べて踊ったりして、見ていてとても楽しかったです。

坂田:ラテン系な感じなんですね。なるほど、日本人とは違いますね。タイには3年6カ月ほどいて、その後、日本に戻られたんですよね。

大沢:はい、住まいは埼玉県になりました。そこでまた、以前仕事をいただいていた翻訳学校の方に連絡を取って、リーディングや下訳の仕事を再開しました。そのうちに、翻訳者を決めるトライアルを受ける機会があり、運良く合格して初の訳書を出すことになりました。タイトルは『あくせくするなゆっくり生きよう』、主婦の友社から1998年に刊行されました。

坂田:そうですか。“一気に”というよりは、“あきらめずに少しずつ”続けて、ようやくたどり着いた初の訳書、この本のタイトルは大沢さんの生き方そのものですね。

大沢:そうですね(笑)。

坂田:過去に一度、1冊まるまる下訳する仕事を得たとき、挫折した経験があったということでしたが、自分の名前での訳書となるとプレッシャーがあったのでは?

大沢:プレッシャーは確かにありました。ただ、下の2人が幼稚園に通っていて、上の子は小学校でしたので、昼間自由になる時間が結構ありました。以前の下訳のときとはそこが違っていたので、何とかうまくやれました。

坂田:ご自身としては、出来映えはどうでしたか?

大沢:もう夢中だったので……。後から読み返したら、ここをこうしたらよかったな、というところはありましたが。そのときは、自分として出せる力を出し切った感じです。とはいえ、編集者の方にかなり手を入れていただくことにはなりましたが。

坂田:ご自身の名前で訳書を出すことができ、これで翻訳者としてやっていける、と感じましたか?

大沢:訳者紹介のところに自分の名前が出ているのを見て、まだ一冊訳したばかりなのにいいのかな、と恐縮してしまいました。その頃出たベストセラー本の類書だったので、売れ行きは好調でした。本屋で平積みになっているのを見て、嬉しいというよりは怖いなと感じました。

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