翻訳のスキルアップ・情報収集・仕事獲得 翻訳者ネットワーク アメリア
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坂田:結局、大学卒業後はどうしましたか? 山内:普通に就職して、産業機械メーカーで輸出関係の仕事をしていました。 坂田:英語を生かした仕事だけれども、演劇や翻訳とは関係がない……。 山内:そうですね。何しろ返事が“食えないからやめなさい”でしたから(笑)。でも、あきらめたわけじゃありません。大きな夢として、ずっと胸に秘めていました。劇書房にも出入りをして無償のお手伝いを続けていましたし。 坂田:その後は? 山内:何度か転職しましたが、ずっと英語を生かした職種で、仕事の一環として翻訳や通訳をしていました。3度目の転職でタトル・モリ エイジェンシーに入り、このときから翻訳と深く関わる仕事をするようになりました。 坂田:タトル・モリ エイジェンシーは版権エージェントですよね。つまり、外国の書籍を日本の出版社に紹介して翻訳出版契約を結ぶお手伝いをする会社。なぜ、こちらの会社に転職することになったのですか? 山内:その前は派遣で役員秘書の仕事をしていたのですが、その役員の方が引退されることになり職を失ったんです。それで、どうしようかと求人広告を見ていたときに、こちらの会社の募集を見つけたんです。台本の原本によく「タトル・モリ エイジェンシー」の名前が入っていたので翻訳出版に関係する会社だということは知っていて、芝居の台本をいっぱい読めるかもしれない、という甘い考えで応募しました。 坂田:実際、入社後はたくさん台本を読めましたか? 山内:はい、それはもうイヤになるほど(笑)。とはいっても、扱う書籍の中で台本はそれほど多くないですから、自分の担当だったノンフィクションの方をもっとたくさん読んだのですが……。私が芝居好きだということをみんな知っていたので、台本が来ると私にまわしてくれました。それで、たくさん読むことができました。 坂田:山内さんにとって、とても幸せなお仕事だったのですね! 山内:そうですよね。結局、タトルには10年ほどお世話になりました。 坂田:お辞めになった理由は? 山内:あの大学時代に受け取った“食えないからやめなさい”の話に戻るのですが、そのハガキを書いてくれた方が、“新しい会社を作るので参加しないか”と誘ってくれたんです。それは芝居の企画制作会社でした。その頃、私は33歳。社会人としてある程度経験を積んで、何か新しいことをやりたい時期だったんですね。エージェントの仕事は好きだったけれど、自分で企画から立ち上げていく仕事をやってみたいなと思い、タトルを辞めて新しい会社に参加することにしました。 坂田:好きだったお芝居の仕事にようやくたどり着いたわけですね。 山内:はい、そうですね。でも、実際に仕事が始まってみると、ひとつ問題が持ち上がったんです。 坂田:というと? 山内:海外の作品のときは翻訳や通訳もするので高いレベルの英語力が必要になるのですが、次に日本の作品を上演することになると、それから数カ月間は一切英語を使わなくなってしまうんです。また数カ月後に海外の作品をすることになると、いきなり高い英語力が要求されるという状況になって……。仕事で英語を使わない期間も、常に英語をブラッシュアップしておかなければならない。これは何とかしないといけないと思い、電車の中吊り広告で“通訳科“の文字を見つけて、その学校に通うようになりました。 坂田:通訳の学校にどのくらい通ったのですか? 山内:基礎科、普通科、研究科と合計3年通いました。授業は週に2、3回だったと思います。 坂田:お仕事では通訳も多かったのですか? 山内:海外から演出家やデザイナーの方をお招きしたときは、その通訳をしていました。もちろん翻訳もしていました。でも、私が翻訳した台本がうちの企画として上演されたことはありませんでしたね。まず、海外の台本をたくさん読んで、これはと思った作品があれば企画書を書くんです。そこで企画が通っても、翻訳は大先生にお願いする、ということが多かったです。だから私は、やっぱり検討訳止まりでした。