アメリア会員インタビュー



何となく応募した求人で翻訳の仕事に目覚める

坂田:1年後、日本に帰ってきてどうしましたか?

中村:もういちど、英語の教師の職を探しましたが、見つかりませんでした。学歴は大学中退、つまりは高卒ですし、職歴もなきに等しいわけですから。それでいったん諦めて、宅配便ドライバーの仕事に就きました。

坂田:それはまた、英語とはまったく関係のない仕事ですね。どうしてその仕事を選んだのですか?

中村:契約社員だったのですが、朝7時半から午後12時半までの5時間契約で、残業があっても2時くらいには終わる仕事でした。将来的には何らかの形で英語を教えようと思っていたので、この働き方なら学校に通えるし、夕方から塾の講師もできますので。

坂田:学校というのは?

中村:やはり英語を教えようと思えば、自らが継続的に学び続ける必要があると思い、通訳養成講座に通い始めました。学ぶうちに、翻訳の仕事もいいな、通訳もやってみたいな、と漠然と意識するようになりました。そんなとき、スクールで翻訳の求人が出ていたので、軽い気持ちで応募したら、仕事をいただけることになって。

坂田:トライアルを受けたのですか?

中村:トライアルはなかったような気がしますが、面接はあって、パソコンのスキルなどを訊かれました。それが1996年のことですが、そのころ私はすでにパソコンもインターネットも使っていましたので、それが仕事をいただけるポイントになったのではないかと思います。当時としては、まだ少数派だったと思いますから。

坂田:それが初めての翻訳のお仕事ですね。手応えはいかがでしたか?

中村:ダメでしたね、全然。物流関連機械のマニュアルだったのですが、本当に申し訳ありませんという気持ちで納品しました。本当にひどい出来だったと思いますが、初めてのチャレンジで採用されて、翻訳料は30万円くらいだったでしょうか。かなりまとまった金額もいただけて、本気で翻訳者を目指してみようかという気持ちになりました。なによりも、出来が悪かったことで気持ちに火がついた感じでした。もっと勉強すれば、もっとできるんじゃないか、次回はもっとうまくやろう。そんな気持ちが芽生えました。

坂田:大学は勉強が好きじゃないからやめたということでしたが、翻訳者になるための勉強は苦じゃなかった?

中村:そうですね(笑)。ゴールが見えない、いわゆる「お勉強」がダメだったのかもしれません。具体的な目標を設定して、それを目指してプロセスを工夫することは嫌いでないということに、その頃ようやく気づきました。

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