アメリア会員インタビュー



TRADOSのスキルを武器に2000年にIT翻訳者として独立

坂田:翻訳者という目標が決まり、それからどうしましたか?

中村:学校には2年間通いました。運送会社の契約社員も1年で満了し、とりあえず地元の塾に講師として就職できました。いきなり翻訳者になるのは無理だと思ったので、塾の講師として働きながら、少しずつ移行していければいいなと。その頃、最初に仕事をいただいた会社から時々ですが翻訳の仕事を受けていました。

坂田:塾の講師とフリーランスの翻訳者と二足のわらじですね。

中村:はい。でも、フリーランスの翻訳者とはいうものの、実績が乏しく、翻訳者としての自信もありませんでした。なんとかスキルと自信をつけられないかと思い、それなら業界に入ってお金をもらいながらOJTで学べれば一番いいと考えたんです。そこで翻訳会社への転職を模索しました。

坂田:転職はうまくいきましたか。

中村:実際には、転職ではなかったのですが、小さな翻訳会社で働かせていただけることになりました。塾からの慰留もあって、翻訳会社にはパートで入り、週に何度かは夕方から塾で教えるという形をとりました。自分としても翻訳者になりたいという強い気持ちはあったものの、まだ自信がないので、最後に逃げる道を残しておくという慎重(中途半端?)な意思決定をしたわけですね(笑)。

坂田:翻訳会社ではどのような仕事をしていましたか?

中村:主な業務は、整備マニュアルをはじめとする自動車関連文書の翻訳でしたが、小さな会社だったので、コーディネーションや上がってきた翻訳のチェック、会社のホームページの作成や商談の通訳など、翻訳に関わる一通りの仕事を経験させていただきました。そこで学んだことは本当に多かったのですが、最大の収穫はTRADOSを習得できたことです。1999年だったので、まだTRADOSの導入が始まった初期の頃ですね。私はコンピュータやインターネットには興味があり、すでに使っていたので、TRADOSもすぐに習得しました。私としてはこの会社でもっと経験を積みたかったのですが、徐々に景気が悪くなってきて、1年後に「おまえは独立しろ」という形で追い出されてしまいました。

坂田:フリーランスになるには、まだまだ経験不足だと感じていた?

中村:そうですね。会社の仕事は楽しく、ずっとオンサイトでもいいと思っていたくらいです。それに、私の場合は何か専門分野を持っているわけではありません。一般的な産業翻訳の、それもたった1年の経験では、到底プロとして通用しないだろうと思っていました。他の翻訳会社に転職することも考えましたが、塾の方でもかなり責任のある仕事を任されており、そう簡単に辞められない状況になっていました。塾の仕事は残したままの慎重(中途半端!)な状態ではありましたが、フリーランス翻訳者に挑戦することにして、2000年に独立しました。

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