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持込成功の秘訣
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第1回 初めて出会った“翻訳したい本”
フランスの場末の書店で運命の本に出会った堀茂樹さん
Shigeki Hori
今から10数年前、ある本が世界各地で静かに話題になりつつあった。後に、日本でも翻訳されて話題になるのだが、フランス語が原本のこの本を日本に紹介したのは、当時は翻訳家でも大学教授でもない、フランス帰りのひとりの無名の人物だった。現在は翻訳家であり慶應義塾大学総合政策学部教授でもある堀茂樹氏。彼の日本でのキャリアは、この本からスタートしたといっても過言ではない。その本の邦訳名は『悪童日記』という。

堀氏はこの本にフランスで出会った。1988年のことである。
「ある場末の本屋で見つけました。その界隈の人々が夕方になると集まってきて、映画や本の話をする。そんな小さな本屋でした。その名も「アスファルト書店」。フランスの本屋は店主自身がすごく本を読む人が多い。アマチュアだけども大変な読書家がいたりするんです。「アスファルト書店」の店主もそうだった。私もさっそく親しくなってね。で、ある日、“これは掘り出し物だよ”と紹介されたのがこの作品でした」

後に日本で『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』というタイトルで出版される3部作のうち2作目の『ふたりの証拠』が新刊で出たばかり、1作目の『悪童日記』が文庫になった頃だった。

「夏の日の夕方でした。文庫の『悪童日記』だけを買って帰り、読み始めました。フランスの夏は夜9時半ごろまで明るい。夕暮れから読み始めましたが面白くて、もう止まらなくなって、続きを読まないわけにはいかない、という気持ちになりました」

次の日は日曜日。フランスでは日曜日はほとんどすべての店が閉まってしまう。しかし、「アスファルト書店」は日曜も午前中だけは開店営業であることを知っていた堀氏は、早朝、まだシャッターの閉まっている書店の前で店主の到着を待った。新刊『ふたりの証拠』を買って帰り、一気に読んだ。

「感心しました。本当のオリジナルの作品だと思った。フランス人の友人に“日本で出ているのか? お前が訳したらいいじゃないか”と言われましてね。フランスの出版社に電話をかけてみました。そしたら、“(翻訳権は)17カ国に売れているが日本では売れていない”との返事。じゃあ、訳してみようかなと。それほど感心したんですよ」

そもそも堀氏に翻訳家になろうという考えはまったくなかった。10年前、仏国政府給費留学生として渡仏した頃は、フランス文学の研究に明け暮れていた。

「当時は研究者は研究をすべきであって、翻訳などはB級の仕事、というくらに思っていました。わかりもしないで、翻訳を片手間仕事のように見下していた……。今から思えば、実に恥ずかしい、愚かな考えでした。が、とにかく当時は翻訳は視野にまったく入っていなかった」

しかしその後、人生は大きく方向を変える。

「まあ成績だけは良かったのです。しかし、“実力”といえるようなものは形成できていなかったし、人間として未熟だったんでしょうね。留学中に自分の考え方や価値観が180度変わってしまってね。3年間は普通に給費をもらって勉強していましたが、その後はあまり大学へは足が向かなくなり、独りで読書に明け暮れながら、翻訳や通訳のアルバイトで食いつなぐ生活をしていました。そんななかでこの本に出会い、翻訳をしてみようかという気になったんです」
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