【アメリア】Flavor of the Month 79 松井 信彦さん
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Flavor of the Month
<第79回>  全5ページ


コンピューターを扱うエンジニアだった会社員時代 「やるからには翻訳だけで生計をたてていく」決心を胸に翻訳の道へ。

岡田 :実務と出版をバランスよくこなされている松井さん。もともとはエンジニアということで、さまざまなIT系の知識をお持ちですね。

松井 :そうですね。そもそも大学時代にいちばん好きだった科目がコンピューターサイエンスで、ハードウェアとプログラミングの基礎知識はそこで身につけました。その後、会社員時代には実際にデジタル回路を設計したり、設計した回路のテスト環境を整えたりしていましたから、ネットワークにもある程度詳しくなっていきました。画像処理の分野に強くなったのは、外資系の企業でスキャナーとデジタル カメラの開発に携わっていたためです。

岡田 :なるほど、まさにプロフェッショナルな世界ですね。エンジニアとしてのキャリアをお持ちでありながら、翻訳の道へ進まれたきっかけはなんだったんですか?

松井 :うーん、どうも自分は会社員は向かないな、と(笑)。それならどうするか、と考えたときに、英語で食べていこうと思いました。英語は好きでしたし、当時、データシートなどは全部英語で見ていましたから。社内通訳のようなことをした時の経験から通訳はだめだと思っていましたが、「翻訳ならできるはず」という根拠のない自信があったんです(笑)。

岡田 :とおっしゃると、プログラミングにも増して英語がお好きだったということですか?

松井 :結局そういうことになるのかな。フリーのプログラマーになろうとは思わなかったですからね。

岡田 :学生の頃は翻訳の仕事は考えなかったんですか?

松井 :考えませんでした。会社員になる以外の発想はなかった。企業でエンジニアとしていかに生きのびるかを考えていました。英語の勉強もその一環で、会社に通いながら英語学校にも通いました。

岡田 :そもそも松井さんの土台となる英語力はどちらで?

松井 :受験英語とNHKのラジオ講座だと思っています。それと、外資系に勤めたことで、実践英語の力が伸びました。外国人の社員もいますし、予算は本社からとるのでメールのやりとりや仕様書を英語でおこしたりもしていました。でも英語はあくまで仕事の一環で、本業は回路の設計やソフトの開発。当時は一生エンジニアとして働くんだろうと思っていました。

岡田 :その外資系の会社には何年お勤めされたんですか?

松井 :10年ちょっとです。辞める1、2年ほど前からフェロー・アカデミーの通信講座を受講しはじめました。

岡田 :翻訳の勉強をはじめた頃、「これだ!」って思われましたか?

松井 :どうかなぁ、特に思いませんでしたね(笑)。会社の世界から逃げているだけという可能性も疑いました。1年コースをとって、それが続いたら会社を辞めようと決意し、結局、続いたので会社を辞めました。以後、やるからには翻訳だけで生計をたてるという目標をたて、まずフリーランスコースを受講。それが終わってからは出版のクラスをとりつつ、実務のトライアルに受かるというのが直近の目標でした。会社をやめて1年4、5ヶ月で運良くトライアルに受かりました。

岡田 :トライアルは頻繁に受けられましたか?

松井 :頻繁と言えるかどうかわかりませんが、会社を辞めて1年くらいのころから、アメリアを通じて月に1社ずつ受けて、4社目で合格しました。37歳のときです。その後も時々受けました。

岡田 :確実に翻訳で生きて行くためには、それなりの覚悟がいる年齢かもれませんね。その後フリーランスになられてからも順調に?

松井 :はい、おかげさまで途切れることなく仕事をいただいてます。

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