在宅フリーランスの医療翻訳者、安部智子さん Flavor
情報・コラム
Flavor of the Month
<第122回>  全4ページ

安部 智子さん

第122回

文学から薬学まで、マルチな知識と技能で活躍中 安部 智子さん

Tomoko Abe
メーカーに就職、小説執筆講座から大学院へ

加賀山 :今日は医療関連の実務翻訳家の安部智子さんにお越しいただきました。大学では英米文学や日本文学を学ばれたそうで、いまの医療関連のお仕事とはずいぶん離れていますね。

安部 :はい。短大では経済学を専攻しまして、その後、関西の外国語大学の英米語学科で学びました。在学中から英語を使う仕事につきたいと考えていて、通訳よりもこつこつと取り組める翻訳のほうが合っているかなと思っていました。

加賀山 :就職は関西ではなく東京に?

安部 :就職氷河期でしたので、新卒支援制度を利用しながら、東京の精密機器メーカーに正社員として就職することができました。最初は国内営業事務でしたが、海外との英語でのやりとりもありました。それがすごく忙しくて、終電に駆けこむような生活を1年ぐらい続けました。そのあと、もう少し落ち着いた部署を希望して、経理に異動しました。

加賀山 :時間の余裕はできました?

安部 :そうですね。定時に帰れるようになったので、習い事がしたいと思い、フェロー・アカデミーに通いはじめました。それが2001年のことです。半年間、土曜の昼間の翻訳入門のクラスで学んだあと、その先のジャンルをなかなか絞れないでいたのですが、ちょうどそのころ、漱石や鷗外の作品を読んで、小説を書きたいなと思いまして、小説の学校に通うことにしました。

加賀山 :小説家志望ですか! 学校というのは、カルチャーセンターのようなところですか?

安部 :小説の執筆と編集を教える専門学校ですね。月に1回、原稿用紙5、6枚の作品を書いて、ゼミ形式で生徒同士が話し合ったり、先生に添削してもらったりするクラスでした。そういう作品を書くことも、読むことも初めてだったんですが、そもそも文章を書くのが好きだったので、苦ではありませんでした。先生に褒められたり、クラスメイトによかったと言われたりするとうれしくて。伝わるだろうと思って書いたものがぜんぜん伝わらない人もあれば、そのまま伝わる人もいて、感じ方にいろいろあるのが新鮮でしたね。

加賀山 :そのあいだ、経理のお仕事もされてたんでしょう?

安部 :していました。そのうちに小説の意味というか、背景に興味が湧いてきたんです。図書館で漱石に関する評論や論文などを読んでいると、たとえば「それから」の代助の心情と風の関係とか、赤い色との関係とか、謎解きのような楽しみがあって、これは本格的に学びたいと思いまして、大学院に進みました。

加賀山 :今度は大学院に!

安部 :はい。大学院では近代文学が専攻でした。ほかの学生さんは大学で4年間、文学を学んでいて、私だけ畑ちがいでしたから、最初はうまく発表もできなかったのですが、2年生の春に、私の発表のあとで部屋のなかがしーんとなって、なんだろうと思っていると、先生に「化けるものだね」と言われたんです。別の機会に先輩から褒めてもらうこともあったりして、自分が変わったのだと思いました。分野がちがっても自分なりにがんばれば認めてもらえるんだと。

トップへ 次へ