【アメリア】Flavor of the Month 38 友清 仁さん
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Flavor of the Month
<第38回>  全5ページ


友清 仁さん

第38回
地方在住はもうハンディじゃない! 通信講座と独自の勉強法で 学習2年目にトライアルに合格
  友清 仁さん
Tomokio Hitoshi


田舎での仕事探し。“自立できる職”を見つけたい

坂田:今月は、主に通信講座で翻訳を学び、学習2年目からお仕事をスタートさせたという友清仁さんにお話を伺います。翻訳の勉強を始めるにあたっては、ご自身の環境の変化など、やむを得ない事情もあったようですね。

友清
:はい。大阪の会社に勤めていたのですが、家庭の事情で故郷の長野へ帰ることになりました。 そこで、いろいろと考えて翻訳をやっていこうと決心しました。ただ、それまで翻訳をちゃんと勉強したことはなく、長野に帰ってから本格的に勉強を始めたので、実際に仕事を得るまでには1年以上かかりました。

坂田:では、翻訳との出会いはいつ頃だったのですか?

友清:“翻訳”というか“訳す”という行為をしたのは、今から5年前です。そのころ、鋳造メーカーの品質管理部に勤めていたのですが、海外との取り引きが若干あったので、上司からビジネスメールなどの和訳・英訳を頼まれることがありました。そのうちに、社内の技術文書や製品マニュアルなどの和訳・英訳もするようになりました。しかし当時は、単に「縦のものを横にする」程度のもので、翻訳とは程遠いものでした。

坂田:では、翻訳は仕事の一部で、翻訳者として仕事をなさっていたわけではないのですね。

友清:社内で翻訳の作業をしていると、同僚から「留学とかしてたん?」と聞かれることがありましたが、留学どころが海外旅行も1回しか行ってません。ですが、学生時代から英語は得意でしたし、子供のころからトランシーバを組み立てたり、ラジコンカーを改造したりしていたので、機械や電気などの基本的知識はありました。 また、父親が金属加工の仕事をしていたので、間接的に工作機械についても知識がありました。

坂田:では、技術文書や製品マニュアルの翻訳は、好きな仕事だった?

友清:そうですね。社内で翻訳作業をしているときが一番楽しかったです。もともと、本を読んだり調べものをするのが好きな方です。そのうち、翻訳業界についても調べるようになり、ある業界雑誌で「翻訳は、調べ物が8割」という言葉を見て、「自分に向いているかも」と思いました。

坂田:その後、会社を辞めて、翻訳の勉強を始めたということですが、そのきっかけは?

友清:家庭の事情で故郷の長野へ帰ることになったのですが、そのときはまだ、翻訳の仕事をしようとは思っていなかったので、普通に就職活動をしました。しかし不景気の真っ只中、さらに田舎ということもあり、なかなかいい仕事はありません。長野で働いている昔の友人らはどうかというと、「残業や手当てがなくなり、生活がキビシイ」と愚痴ったり、リストラにあったりしています。そんな現実に直面して、私は、「以前は会社の存続と自分の雇用はイコールだったが、いまは会社の存続のために自分の雇用がなくなる」ということがあるのかと思いました。まさに「会社のために、手となり足となりクビになり」です。なので、幸い独身でもあることだし、「向こう何年か生活は苦しくても、自立できる職を見つけよう」と考えたのです。

坂田:その“自立できる職”というのが、友清さんの場合は翻訳だったのですね。

友清
:そうです。会社員の頃、一番自分に合っていると思った仕事、そして頑張れば自立できる仕事として、翻訳を選びました。そうなると、とりあえずの仕事は何でもかまいません。選り好みしなくなると、勤め先もすぐに決まりました。あとは、「翻訳者として自立するためにはどうするか」を考るだけ。長野には通学できる翻訳の専門学校はありませんでしたので、通信講座で勉強することに決め、勉強計画の立案と実践にまい進しました。

坂田:こうして振り返ってお話を伺っていると、翻訳者になることをすんなりと決断なさったように聞こえますが、実際には不安やためらいもあったのでは?

友清:はい、当時は非常に不安でした。しかし勉強などで忙しくしていると不安が軽減したような気がします。
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