【アメリア】Flavor of the Month 39 中尾裕子さん
読み物
Flavor of the Month
<第39回>  全6ページ


卒業後もフランスに住み、大好きな本の翻訳をしたい

坂田:今度は、フランスの大学の雰囲気について教えてください。日本の大学と比べてどうですか?

中尾:フランスの大学は面倒見が悪いなあ、という印象を受けました。学生と教授の交流が少ないんです。日本の大学ではフランス語教員室があって、いつでも出入りできたし、いつでも質問ができました。フランスでは教授と約束を取り付けて面会しますが、時間制限があります。フランスの教授の中には、「頑張れ」と応援して、参考文献を貸してくれた教授もいましたが、その多くは「フランス語できないのに、あなたここで何しているの?」という反応です。そういう意味で、精神的に強くなくてはやっていけない部分があります。最初の2年間はそこで負けていた気がしますね。日本の大学に較べて学生同士の交流も少なくて、文学部学士の95%くらいはフランス人学生でしたが、友達になったのは皆、外国人学生でした。

坂田:どのような友達ができましたか?

中尾:今でも連絡を取っている友人は、セルビア人、ボスニア人、スペイン人、台湾人、日本-イギリス人ハーフ、スロベニア-イラン人ハーフ、ギリシャ-ボリビア人ハーフ、ブルガリア人などでしょうか。当時は「多国籍軍」と命名して、いつもつるんでいました。今は皆、それぞれの道を進み、ばらばらになってしまったけれど、ここで見つけた一生ものの友情はかけがえのない宝です。

坂田:フランス人の友達があまりできなかったのはどうしてでしょうね?

中尾:フランス人とは、仲良くなるまでに時間がかかります。それに、私の住むグルノーブルは山岳気候なので、性格も閉鎖的だということをよく聞きます。でも、仲良くなれば一生ものの友情も見つかる。受け入れてもらって、自分の居場所を見つけることが出来れば、本当に素敵な国だと思います。

坂田:翻訳はどのようなきっかけで始めたのですか?

中尾:大学の文学部の同期のボスニア・ヘルツェゴビナ出身の男の子が、グルノーブルの中心街にある翻訳協会で日本語の翻訳者を探している、と教えてくれたのがきっかけでした。彼は、既にセルビア・クロアチア語の翻訳者として登録していて、私もさっそく履歴書を持って担当者に会いに行きました。面接、書類審査を経て、晴れて協会の一員として雇われ、日本語の翻訳・通訳をするようになりました。これをきっかけに日本の翻訳会社とも少しずつコンタクトを取り始めました。

坂田:翻訳協会というのは、どんなところですか?

中尾:30年ほど前に設立された、元はフランスにおける外国人受け入れのための司法サービスを行っていた協会で、今は国や地方自治体から援助を受けながら、「長期滞在の外国人に対するフランス生活のための研修サービス」「専属の司法士と弁護士による滞在に関する司法相談サービス」「通訳・翻訳サービス」を行っています。通訳・翻訳以外は、すべて無料という社会福祉組織なんです。ですので、私の受けるお仕事は基本的に公文書、医療証明、または裁判に関する書類の翻訳です。通訳も、基本的には公の機関、つまり警察・消防・市役所・判事・医療機関などからの依頼が中心になります。

坂田:大学で、翻訳や通訳の勉強をなさったのですか?

中尾:翻訳・通訳の専門講義は受けませんでした。ただ、いずれ役に立つだろうと日本語学科の「日仏・仏日翻訳」の授業を受けていました。それと、翻訳に関する学会には積極的に参加しました。

坂田:では、現在は実務翻訳を主になさっているのですね。興味のある分野は何ですか?

中尾:実は、出版翻訳を目指しているんです。結局、人間は遠回りして「原点」に戻るのかもしれません。私は幼少時代から本に囲まれて育ったんです。母は、誕生日にいつも絵本を何冊も贈ってくれました。私は覚えていませんが、好きな絵本を暗記するまで読んでいたとか。文学を勉強の対象にしたり、出版翻訳を天職と勝手に決め付けているのは、やはり幼少時代の影響かもしれません。

坂田:子どもの頃読んだ本で、いちばん印象に残っているのは?

中尾:本好きになったきっかけは、児童向けにやさしく書き直されたビクトル・ユーゴーの「ああ無情(レ・ミゼラブル)」でした。当時通っていた学習塾に自由に借りられる本棚があって、そこでこの本に出会いました。それから小学生の頃は、放課後になると学校の隣にある図書館に通い、シャーロック・ホームズシリーズや、アルセーヌ・ルパンシリーズを読み漁っていました。小学5年生の時の私の恋人はルパンで、恋焦がれて、もう真剣に悶えていました(笑)。ちょっとませてたかもしれませんね。中学に入ってすぐに買った、村上春樹の「ノルウェーの森」のハードカバーは今でも時々読み返します。何度読んでも、その時々で違う感じ方ができる。いつも迷いがある時や、傷ついている時に、すっと手が伸びる作品です。

坂田:もうすぐ博士課程も修了ですね。卒業後はどうする予定ですか?

中尾:卒業に合わせて、ここフランスでの起業を考えています。フランスでは、フリーランスで働く場合、URSSAF(社会保険庁)という機関に登録をする必要があります。外国人の場合はまず、県庁で長期滞在証の申請が必要になります。私は現在学生ですから、そのために学生ビザから商業滞在許可証への切替申請を行い、ようやく新たな労働許可つきの滞在許可証を受け取ったばかりです。ちなみに、今までの翻訳・通訳業はすべて、先ほどお話した翻訳協会を通して行っていたので、こうした煩雑な手続きは必要ありませんでした。できれば将来は出版翻訳に関わりたいと思っているので、今年はパリ本市“サロン・ド・リーブル”にも参加して人脈を作る予定です。友人の働く出版社に無理を言って、招待状をいただきました!

坂田:“サロン・ド・リーブル”とはどのようなものですか?

中尾:パリで毎年開催されている本の見本市で、その年によってテーマが違いますが、2006年は「フランス語圏の文学」がテーマです。2005年はロシア文学でした。扱う書籍はフランスのものが中心ですが、今年はそれだけでなく、ケベックや北アフリカなどの作品も大きく取り上げられます。実際、北アフリカのフランス語文学作品(アラビア語で書かれたものの翻訳ではなく、作者が直接フランス語で執筆したものを指す)は、「マグレブ文学」または「植民地文学」という名で、1つの文学ジャンルとして文学界にも認知されています。それは、フランス文学には見られない背景、例えば「抑圧する支配言語としてのフランス語」や「イスラム文化」などが顕著に現れる、非常に特殊な文学といえます。
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