【アメリア】Flavor of the Month 44 藤原あゆみさん
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Flavor of the Month
<第44回>  全6ページ


中国の文化を肌で感じた駐在員時代

坂田:よかったですね。勤務地はやはり中国ですか。

藤原:はい。中国青島の新規合弁工場の立ち上げ要員として派遣されました。品質管理課染色試験室室長というポストを頂き、新人にもかかわらず恐れ多くも現地の方に品質管理手法や染色技術に関してもご指導させていただいておりました。また、政府筋や開業式の役員の通訳などにも駆り出されていました。

坂田:その会社にはどのくらい勤めたのですか?

藤原:その会社で4年ほど働き、中国での駐在期限が満了して日本に帰国する日が近付いて来たのですが、私にはもう少し中国で仕事をしたいという希望がありました。その頃、ありがたいことに、日系、外資を含めいくつかの企業からお誘いを受けていて、その中のひとつ、タイの華僑資本の会社に転職して1年半ほど勤めました。

坂田:その後はどうしたのですか?

藤原:1999年に同じ企業駐在の日本人と結婚しました。それから妊娠がわかって、妊娠9カ月まで中国で仕事をしていたのですが、やはり初めての出産は日本でと思い2001年に帰国しました。帰国する際、退職届を出したのですが休職しか受け付けないと言われて、結局正式に退職したのは帰国後2年くらい経ってからでした。その時もオーナーに「いつでも戻って来なさい」と言っていただいて本当に嬉しかったことを覚えています。

坂田:家庭的な雰囲気の温かい会社のようですね。

藤原:結局、私は中国で日系と外資の2社で仕事をしたわけですが、日系企業の方は日本人スタッフが少なく、嫌が応でも日本人同士は管理職として協力して行かなければなりません。そういう意味でも団結していましたね。日本人スタッフの中で中国語が不自由なく理解できるのが私ひとりだったこともあり、日方からも中方からも頼られていたということもあります。外資の方は日本人が私を含めて3人だけでしたので余り日本人同士の交流はなく、中国人スタッフと密な交流がありました。会社が終わってから一緒に食事に行って会社の愚痴を言い合ったりして、この辺りは余り日本のサラリーマンと変わりませんね。

坂田:中国で日本人女性が働くというのは珍しいのでは?

藤原:そうですね。多分、会社の上司らは私のことを「日本人の小姑娘(=小娘)なのに外国で仕事をして大変だな」と考えていたと思うんです。だから皆さん、とても良くしてくれました。当時はまだまだ女性の駐在員なんて少ない時代でしたので、女性であるというだけで目立ってしまうこともあって、そういう意味では、とても得をしていたと思います。動物園の珍獣が重宝されるのと同じ理論かなと(笑)。

坂田:中国で働いていて文化の違いを感じたこと、それによって困ったことはありましたか?

藤原:それは多分にありました。特に日系企業では、中国のことをまったく知らずに派遣されてくる日本人駐在員さんがけっこういて、中国や中国人をものすごく誤解しているところがあるんです。中国人を頭から信用していないというか。私はやはりコミュニケーションを取ることが重要だと思います。中国人は元来とても誇り高い民族だと思うんです。だからそのプライドを傷付けないように上手にコミュニケーションを取っていくことが重要になってくると思うのですが、そういうことをいくら説明しても日本人上司には理解してもらえないところがありました。さらに中国人スタッフから見ても任期が切れれば帰国してしまう暫定的な上司である日本人を信用し切れない部分もあると。ですから、ある程度はローカリゼーションの必要があって、仕事の権限を中国人スタッフに徐々に移譲していく必要があると思いました。最近は日系企業でもかなり中国通の人が現地勤務になっていると聞きますので、変わってきているのだとは思いますが。

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