【アメリア】Flavor of the Month 51 河崎 有美さん
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Flavor of the Month
<第51回>  全5ページ


特許の知識を得るための修業の日々
坂田:その後、勤めていた化学メーカーを辞めたのですか?

河崎:はい。まず、特許の知識を身につけたいと思い、特許事務所に転職しました。ここでは、ひたすら翻訳ばかりをしていました。化学、バイオの英文明細書を毎日朝から夜中まで訳し続けていたんです。私の現在の実務能力はほとんどこの特許事務所で学んだものです。

坂田:転職する時点では、通信講座で特許翻訳を学んでいたとはいうものの、実務経験はまったくのゼロだったわけですよね。翻訳者として採用されたのですか? 翻訳未経験でもOKだった?

河崎:このときは技術者として採用されました。ただ入所試験のときに英文和訳の問題もあり、それも考慮しての採用だと聞いています。特許事務所は、開発をやっていた技術者はわりと採用されやすいようです。同時期に採用になったバイオ技術者の方も、同じように翻訳をメインにしながら特許庁とのやりとりなどの仕事をこなしていました。

坂田:現在の実務能力のほとんどは、このときに学んだということでしたね。

河崎:はい。翻訳をする際の細かい決まり事や、海外も含めて特許法の知識なども、この頃に学びました。最初は自分が訳したものを先輩に直してもらい、その赤字を修正して仕上げるという流れで仕事をしていましたが、それがとても参考になりました。

坂田:まさに実践型で特許翻訳を体得していったわけですね。

河崎:明細書では、スペースの入れ方や各章の名称なども細かく決まっているので、最低限の知識がないと、なかなかトライアルには受かりません。翻訳後の特許出願手続き、後々直しやすいのはどういう明細書か、1個の単語の訳が原因で訴訟に負けた……、なんていうことも見てきましたので、翻訳の際に特に気をつけなければならないところ、訳注をつけるべき場所などもわかりました。もともとが技術者としての採用ですから、弁理士を目指すという前提でいろいろ勉強をしました。実際に弁理士を目指していたこともあったのですが、まだ試験には受かっていません。今後、余裕ができれば、知識を身につけるためにまた目指すかもしれません。

坂田:そうですか。では、この会社で何年か修業を積んでフリーランスに?

河崎:いいえ。本当にここでの仕事は勉強になったのですが、仕事があまりにも忙しすぎて……。睡眠時間がほとんど取れない状況で体調を崩したため、やむなく別の特許事務所に移りました。そこでは、電気関係(カーナビ)の明細書(日本語)を書いていました。そもそも化学系の仕事を増やしたいということで採用されたのですが、会社の思惑が外れ、化学系の仕事が入ってこず、1年後に首になりましたが。

坂田:それは大変でしたね。

河崎:実は、最初の特許事務所に入って半年後に、フリーランスとしても特許翻訳を請けおって自宅でも仕事をするようになりました。

坂田:では、会社を辞めた後はフリーランスの翻訳者に?

河崎:いいえ、まだ自信がなかったので、次の勤め先を探しました。特許事務所よりも安定しているということで化学メーカーの知的財産部に勤めることにしました。ここでは、明細書を書くというよりは、社内の発明者から話を聞き、発明を完成させたり、特許事務所に説明に行って明細書を書いてもらったりしていました。

坂田:発明者から話を聞いて明細書を書いてもらう、そんなお仕事があるんですね。

河崎:技術者の方は自分の研究については詳しいですが、それを特許を取るという観点から考えることはあまりしないんです。特に日本人には謙虚な方が多いですから、「この技術はすごいんだよ!」とは言わずに、「こんなこと誰でも思いつくかもしれないんですが……」というスタンスなんです。ですが、実際には誰でも思いつくものではありませんので、「どんな点に苦労しましたか?」「いちばん時間をかけたのはどこですか?」などとお話しを伺いながら発明のポイントを絞っていくのが私の仕事でした。また、研究者が思いついた技術を他の分野に応用できないかなどと考え、適宜助言をしていくということもしていました。

坂田:そうですか。これも特許について知識があるからこそできるお仕事ですね。

河崎:ほかには、社内での特許教育も私の仕事でした。新卒の新入社員に「特許法の基礎」を教えるんです。具体的には、特許法の概要から始まって、実際の明細書を見ながら、明細書の流れ、どこにポイントが書いてあるか、といったことを説明したり、最終的には実際に「特許請求の範囲」を書いてみるという演習をしていました。この「特許請求の範囲」とは、権利をもらいたい発明の内容を文章で書いたものなのですが、特許独特の書き方があって、なかなか難しいんですよ。

坂田:この会社では翻訳の仕事はなかったのですか?

河崎:ありませんでしたね。翻訳は特許事務所に依頼していました。ただ、自宅では引き続きフリーランスで特許翻訳を請けおっていました。会社が朝9時から夕方6時まで。いつも定時に帰れるわけではなく、残業ももちろんありました。そして、仕事を終えて家に帰ってから深夜まで翻訳をする、という状況でした。それが結局、2002年から2007年7月に会社を辞めるまでの5年間続きましたが、徐々にフリーランスの仕事のほうが忙しくなってきて、最後の1年間は残業がほとんどない派遣社員として働きました。
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