【アメリア】Flavor of the Month 74 山村 眸さん
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Flavor of the Month
<第74回>  全5ページ


卒業後は翻訳会社から出向でIT企業へ。病気を抱え、在宅勤務に転向。「生きていればきっといつかいいことある」

岡田:実力社会で超特急のデビューを飾られた山村さんですが、大学卒業後はどのような道に進まれたんですか?

山村:大学卒業後、地方の翻訳会社に正社員として就職しました。ITをメインにしつつ、いろいろな仕事をしましたね。この翻訳会社在籍時にIT系企業に出向し、エンジニアの方々に囲まれて、翻訳者というよりは「英語屋」として働きました。紙上の英語と現場の英語のギャップに戸惑いつつ悪戦苦闘する日々でしたね。

岡田:IT系の会社では実地でテクニカルなことをたくさん学ばれたんですね。

山村:そうですね。自分が訳すドキュメントがどのように発生してどのように使われるのかをこの目で確かめられる、翻訳者として非常に得がたい、ありがたい機会でした。でも実は学生の頃から病気がちで、入院をするようなこともありまして……。最初の翻訳会社を退職して、また別のIT系企業に派遣で勤務しましたが、病状が悪化して通勤できなくなり在宅勤務に転向しました。派遣で働いていた頃、通訳学校にも通っていたんですが、やはり病状悪化があって通訳者への夢は断念しました。

岡田:それはたいへんでしたね。相当のご苦労があったことと思います。

山村:苦労もありましたが、将来の道につながっていくことにもなりました。一時期は「明日息していられるかわからない」という状況もあったんです。それでも「生きていればきっといつかいいことある」と言い聞かせて、その日一日を生き延び、そして明日もそれを繰り返していこうと考えるようになりました。

岡田:超スピードのプロデビューの背景に、そのようなご苦労があったとは……。病気をお持ちの方にとっては励ましになるお言葉ですね。

山村:病気以外にも、事情を持っていてもなんとかして働きたい、働かなくてはいけないという方たちに巡り会うことも少なからずありました。私の気持ちとしては「どうか今日一日を無事に過ごしてください」という思いで一杯です。そして、一日一日を過ごしているうちに、なにかちょっとした拍子に道が開けるようなことがあるはずです。それはごく細い道かもしれないけど、何らかの形で突破口になるかもしれない。私は病気をしたことで、そう思えるようになりました。

岡田:それはご経験をされたがゆえに語られる大切なお言葉ですね。

山村:私の場合は通訳という道はすっぱり諦めることにしましたし、この諦めるということの大切さも覚えました。結果的には通勤が必要でない今のスタイルに落ち着きました。ふだんはひきこもり状態で仕事していますけどね(笑)。

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