【アメリア】Flavor of the Month 7 辰巳敏彦さん
読み物
Flavor of the Month
<第7回>   全3ページ




坂田:辰巳さん、失礼ですがお歳をうかがってもよろしいですか?

辰巳:いやいや、ダメです。私の最後の秘密です。こればかりは教えられない(笑)!

坂田:そうですか。では、質問を変えましょう。辰巳さんが最初に英語に接したのはいつですか?

辰巳:僕の年齢を推測しようというわけですね。まあ、いいでしょう。僕の父親は軍人だったんですよ。陸軍の英国大使館付武官でね。単身赴任で4回、イギリスに渡りました。その父が、イギリスからオモチャを送ってくれる。英語がわからなくても楽しめるようなきれいな絵本だったり、AにはApple、GにはGiraffe、FにはFishの絵が描いてある積み木だったりね。当時、そういう経験をした人は少なかったと思います。

坂田:小さい頃から英語が身近にあったのですね。

辰巳:それから戦後になって、父が英国駐在時代に仕えていた英国大使の吉田茂氏が総理大臣になられた。そして朝鮮動乱が勃発して、それまで平和主義一本槍だったGHQが急に日本再軍備に方針を転換すると、吉田首相は英国時代のよしみで、父を軍事顧問にしました。当然、父はGHQに接触しますから、私は大学生だったのですが、父のメッセンジャーで麻布や虎ノ門にある米軍将校の家まで手紙を届けるような役目を頼まれるようになりました。戦後まだ日本の食料事情が貧困な時代に、将校たちの家に行くとステーキのおいしい匂いがプーンとただよってくるんですよね。クリスマスにはきれいな飾り付け。美しい賛美歌の響き。ブロンドの髪に青い目の美しいお嬢さんのシックなドレス姿。でも、私は手紙を届けるだけで、言葉をかけられてもそれが理解できない。悔しい思いをしましたね。英語が習いたくてしょうがなかった。父親も、多少は英語ができたほうがいいだろうと思ったようで、アメリカ軍将校のランゲージオフィサーを紹介してくれました。僕が日本語を教えて、英語を教えてもらう。これが僕の英語の始まりでした。

坂田:私たちの世代とは全く違う、生の英語ですね。

辰巳:そうそう。pitch woo なんて言葉、当時の辞書には載っていなかった。"女性を口説く"っていう意味なんだけど、このころ覚えたねぇ。

坂田:大学を卒業されてからは、どうなさったのですか?

辰巳:英語を使える仕事がしたかったので、総合商社に入社しました。戦後間もない頃で、嘘みたいだけど、まだ英語が出来る人が少なくてね。僕は大学の講義そっちのけで英語を勉強した分、人よりはいくらか出来た。だから、随分と海外出張にも行かせてもらいました。初めのうちは、飛行機もまだプロペラでしたよ。何カ国行ったか覚えてないくらい。今度、暇があったら数えてみようと思っているんですけどね(笑)。

坂田:では、翻訳や通訳は、まさに実践の中で身につけていったわけですね。

辰巳:当時はファックスなんて便利なものはありませんでしたからね。英文の手紙が届いたら日本語に訳す。日本語の手紙を英語に訳す。偉い人が海外出張するとなると一緒に付いていく。とにかく語学に関する仕事はあらゆるものがまわってきて、何でもこなすといった感じでした。

坂田:そうして50年間、ずっとビジネスの世界で英語と関わってきたと聞くと、「もう勉強することなんて何もないでしょう!」と思ってしまうのですが、それでも勉強を続けていらっしゃるのは、それだけ翻訳は奥が深いということなのでしょうか。

辰巳:さっきも申し上げたように、人に読んでもらえる訳文というのが、まだ書けませんからねぇ。僕が今までやっていた翻訳だったら、どこの出版社に持っていっても突き返されちゃう。今までは内容がわかればよかった。でもこれからは違う。日本語として読まれることを十分に意識して訳すようにしています。
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