【アメリア】Flavor of the Month 8 富永佐知子さん
読み物
Flavor of the Month
<第8回>   全2ページ




富永:実は、私にとって転機というか、翻訳に対する考え方が変わった瞬間というのがあったんです。日曜日の昼下がりにピアノでバッハを弾きながら「翻訳ってバッハを演奏するのと同じなんだ」と、とっさに閃いたんです。ちょっとかっこいいでしょう(笑)。

坂田:翻訳がバッハですか!? どういう意味なんでしょう。

富永:ある日、バッハを弾いているときに、大学時代に先生方がおっしゃっていたことを思い出したんです。先生曰く「ヨハン・セバスチャン・バッハは敬虔なキリスト教信者だ。キリスト教も信じていない日本人の若造に弾きこなせるわけがない!」と。でもその一方で「バッハが弾けないなんてことは絶対にない。なぜならバッハはどんな風に弾いて欲しいかを全部楽譜に書いているからだ。だから心を無にして忠実に弾けばバッハになるはずだ」とも。しかし忠実に弾けばいいという一方で「ただ楽譜を追っているだけでは、自分が弾くという意義がない。自分が何故ここで今バッハを弾くのかを常に考えながら、表面的にならないように弾かなければならない」とも言われました。これが、バッハが練習用のメソッドでもあり、ピアニストの大家になっても突き詰めていかなければならない大きな山のような存在でもある所以なんです。

坂田:奥が深いですね。難しいですが、何となく言っている意味は分かるような気がします。

富永:それを考えながら弾いていたら、「あっ、これは翻訳でも同じじゃないか!」と閃いたんです。翻訳というのは著者がいて、すべて書き記されているものを、忠実に訳していく作業です。忠実に訳さなければいけないけれども、誰が訳すか、誰のために訳すのか、どういう媒体なのか、そういうことをすべて考えて訳さなければなりません。

坂田:すべてを考慮に入れた上で、なおかつ忠実に訳さなければならないと。

富永:そうです。それから調査が必要だということもそうです。翻訳では調査力が重要だといわれますが、バッハを弾くのにもやはり調査が必要なんです。当時の楽譜と、今の楽譜では、読み方が違うんです。装飾音の扱い方が時代によって微妙に変わってくるんですよ。当時はピアノがなかったですから、チェンバロで弾いたのか、クラヴサンで弾いたのか、楽器によっても違ってきます。また、この曲を書いたときのバッハの雇い主がどの貴族だったか。その貴族がわかれば、バッハがどういう部屋で、どんな楽器を使っていたかが推測できます。そうなるとここの装飾音はこういう音型になって……。

坂田:すごい! ピアノを弾くのにそんなに調査が必要だなんて、全く知りませんでした。そうですよね。翻訳だって、時代背景を調べたり、地理や文化を調べたりしなければならないですよね。

富永:昔は手書きの楽譜ですから、写譜ミスもあったりするんです。同じ曲でも、出版社によって違っていたり。翻訳だってミスがあるかも知れない。書いた人の思い違いがあるかも知れない。それを全部ふまえた上で訳さなければならない。

坂田:その考え方に、ある日曜の午後、バッハを弾きながら思い至ったわけですね。はっと閃いたとき、どんな気持ちでしたか?

富永:フッと肩の力が抜けました。音楽の道を捨て、翻訳に方向転換しなければと思い、力が入っていたんですね。それが、今までと同じスタンスでいいんだと思ったら、随分と気持ちが軽くなりました。翻訳の勉強を始めて、2年ほど経った頃のことです。

坂田:やはり、2年間の積み重ねがあったからこそ気付いたんでしょうね。




坂田:富永さんは翻訳の勉強を始められて今年で4年目ですね。すでに下訳などのお仕事の経験もあるとうかがいましたが。

富永:はい。カレッジコースで映像クラスの講師だった進藤先生に声をかけていただいて、時々、下訳を手伝わせていただいています。進藤先生から声を掛けていただけたのは、昨年まで先生のゼミを受講していたのですが、授業態度を評価していただいたのでしょうか。皆勤賞でした。

坂田:絶対に休まなかったわけですね。

富永:予習・復習を欠かさず、わからないところは必ず質問しました。私、調べることが大好きなんです。ゲームで、ロールプレイングゲームってあるでしょう。『ファイナルファンタジー』とか。ここ数年は、翻訳の勉強が忙しくてやっていないのですが。「謎の暗号を聞き出すには、村の誰それに聞いて、秘密の図書館にあることを聞き出して、奥の隠し戸棚の中に……」って、たどっていきますよね。全員から話を聞いて、全部の資料を読んで、1人から3回も4回も聞くと、とうとう違う答えを引き出すことに成功!とかね。翻訳の調査も、おおぜいの人に聞いたり、図書館をハシゴしたりして、ゲーム感覚で楽しんでやっています。

坂田:手に職をつけたいと、切羽詰まった状態で翻訳を選んだわけですが、やってみたら自分に合っていた、そんな感じでしょうか。では最後に、富永さんの今後の展望や夢を教えてください。

富永:できれば芸術関係のものを訳したいという希望もありますし、あと、意外かも知れませんが軍事関係も得意な分野だったりするので、そちらにも興味があります。

坂田:軍事関係とは、これまた唐突ですね。

富永:そうでもないんですよ。実は芸術と軍事というのは近いジャンルでもあるんです。戦争が創作の動機になったり、逆に芸術がプロパガンダに使われたり。中世の頃、音楽家は大貴族や王族に雇われて、使用人として曲を書いたり、演奏したりしていました。これは傭兵隊長と同じスタンスなんです。現在、オーケストラで使われている楽器には、オスマントルコがヨーロッパに攻め込んだときに軍楽隊が持ち込んだものもたくさんあるんですよ。私は学生時代にスペイン舞踊を研究しましたので、特にスペイン内戦とか、スペイン継承戦争には詳しいです。それから、友人になぜか武器マニアが多くて、飲みに行くと武器の講義を聴かされたりしているんです(笑)。

坂田:音楽にしろ、軍事にしろ、得意な分野をもっていることは、翻訳家として大きな強みになると思います。今までの経歴が生かせる翻訳ができるといいですね。頑張って下さい!



最初に明確な目的を掲げ、それに到達するためには最大の努力をする。しかし決して盲目的ではなく、アクシデントに対応できる柔軟性も兼ね備えている。富永さんは、芯が強くて、しなやかな、とってもカッコイイ女性でした。今度ぜひ、フラメンコを踊る姿を拝見したいものです。

さて、アメリアではもうすぐ、『会員プロフィール検索システム』というサービスが始まるそうです。協力会社さんが「サッカーに詳しい人」とか「薬学に精通している訳者」など特定の分野に詳しい訳者を探す際に利用してもらうためのサービスだそうです。私もさっそく自分の得意分野や趣味を登録しよう! 富永さんの場合は差し詰め "フラメンコ"や"軍事、武器"でしょうか。
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