フリーランス翻訳者 渡辺淳子さん|アメリア会員インタビュー
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アメリア会員インタビュー
渡辺 淳子さん

渡辺 淳子さん

医療翻訳のプロとして

プロフィール

1998年から2011年まで米国オハイオ州に在住。現地の大学と独学での翻訳の勉強を経て、2006年頃よりフリーランスとして実務翻訳業を開始。2011年に帰国後、約5年間、医療機器企業にて品質保証・安全管理部門、社長秘書の仕事に従事。2016年3月会社を退職、フリーランスとして医療分野の翻訳業を開始する。現在は、治験や安全管理関連の文書、学術文献などを中心に医療系分野に関する様々な実務翻訳を行っている。

治験関連のさまざまな翻訳

加賀山 :今回は、おもに医療翻訳を手がけておられる渡辺淳子(わたなべ じゅんこ)さんにおいでいただきました。医療分野のインタビューは初めてで、楽しみにしてきました。具体的にはどのような仕事をしておられますか?

渡辺 :以前、医療機器の会社に勤めていましたので、プロフィールの実績の欄には「医療機器に関する翻訳」と書いていますが、機器にかぎらず、薬事関連の承認申請資料や、医療全般にかかわる文献などの翻訳もしています。

加賀山 :海外ですでに売っている機器や薬を日本で販売開始するケースが多いのですね?

渡辺 :海外で実績があったり、効果効能が認められているものが日本に導入されることがあります。そういうときに、すでに実施された治験(医療機器や医薬品の効果や安全性を確認するための臨床試験)の計画や結果などを日本語に翻訳する必要があるのです。
 また、同じような機器を扱っている海外の会社から調査の情報を入手する場合もあります。たとえば、海外のペースメーカーリード(ペースメーカーにつなぐ線)の断線事例が起きた場合に、自社のリードで同じような事例はないか、問題となった素材はないかを調べる、あるいは逆に、日本でそういう断線事例があった場合に、海外の学術文献や報告書の似た例を探す、というようなことがあるのです。

加賀山 :訳す分量は案件によってちがいますか?

渡辺 :ぜんぜんちがいます。短いものから、何百ページというものまで。治験のデータなどは600ページぐらいになることもあって、ひとりで訳したこともありますが、いまはだいたい翻訳会社のほうから一部が割り振られてきます。

加賀山 :翻訳会社経由で仕事が入ってくるのですね?

渡辺 :はい。昔勤めていた会社から直接個別の案件を引き受けることもありますが、いまおもに仕事をいただいているのは、海外の大手の翻訳会社です。翻訳の内容も担当の方がチェックしてくれるので、ひとりの場合よりまちがうリスクも減って安心ですね。

加賀山 :プロフィールに書いておられる実績についてうかがいたいのですが、まず治験関連で、「治験実施計画書」というのは?

渡辺 :治験を開始する際に必要な計画書で、目的から試験の手順、評価方法まで、すべて網羅されています。終了するまで基本的に内容を変えてはいけなくて、変える場合には文書を改訂する必要があります。

加賀山 :それを厚生労働省に提出して、OKが出れば治験が始まるのですね。その結果をまとめたものが「治験総括報告書」になると。治験の対象者は日本人ですか?

渡辺 :いろいろありまして、日本人だけのときもあれば、国際治験といって、複数の国で同時におこなわれることもあります。時期は多少ずれたりしますけど。対象国や被験者数などは、その根拠なども含めて計画書に書かれています。
 公表されている治験の概要や結果などは日本の企業でも使われます。自分たちの治験の参考にしたいとか、安全性データの収集といった用途があるのです。

加賀山 :興味深いですね。日本で治験をした機器や薬は、だいたい販売されるものなのですか? それとも、治験した結果これはだめだということも?

渡辺 :販売に向けて国の承認を得るための成績を集める臨床試験が治験です。途中で安全性が認められないとか、効果がないなどの理由で中止される場合もあり、そういった条件や手順も計画書に盛りこまれます。結果はすべて報告書にまとめられるのです。

加賀山 :計画書を翻訳したら、引きつづき報告書も訳すことが多いのですか?

渡辺 :企業から直接依頼された場合には、ほとんどそうなりますが、いまは翻訳会社からの依頼が多いので、かならずしも連続して来るわけではありません。部分的に、「あ、これはまえにやった治験だな」と気づくことはあります(笑)。

海外の翻訳会社から受注

加賀山 :渡辺さんがとくに手がけることが多い分野はどのあたりでしょう。

渡辺 :もともと心臓血管関連の医療機器製造販売会社に勤めていましたので、それが得意分野だとアピールはしています。具体的には、ペースメーカーや、心臓に使うカテーテル、人工血管などですね。ただ、それらは医療全体の案件のなかで多くはありません。私の場合、最近は脳神経分野の仕事が増えています。

加賀山 :どちらかというと、薬よりハードウェアというか、機器に関するお仕事が多いのでしょうか?

渡辺 :そうですね、医薬品にはまた別の化学的・生物学的な知識が必要になりますので、少し別の心構えや準備が必要です。ただ最近ははからずも増えてきています。

加賀山 :プロフィールの実績で「統計解析計画書」というのは?

渡辺 :計画書で定めた期間後や治験終了後に、安全性などを評価する目的で統計解析を使用します。解析の方法や手順、目標とする結果も計画に含めます。これはあらゆる治験で必須で、計画書で示された安全性の予測と比べて、結果にどのくらいの差が出たかといったことを報告するのです。

加賀山 :統計学の知識も必要なんですね。「文献」の翻訳というのは?

渡辺 :それはおもに学術論文です。インターネットのサイトや、医療データの図書館のようなところから、海外文献を日本語に訳してほしいという依頼があります。あるいは、企業によっては、情報提供というかたちでお客様に海外の事情を知らせていて、私たちが日本語に訳したものを自社サイトに毎週のせるといったこともあります。

加賀山 :「手順書」というのも。

渡辺 :企業内のマニュアルのようなものですね。海外の機器を輸入するときには、製造している会社の品質関連などの手順書を添付しなければいけないことがあって、それを翻訳します。たとえば、製造環境にはクラスXXのクリーンルームを導入している、とか、何か問題があったときの報告のフローなどです。

加賀山 :行政関連のお仕事もあるのですね。

渡辺 :厚生労働省が出している薬事法に関する省令やガイドラインの英訳を頼まれることがあります。製造の問題や安全性の報告基準がときどき日本と海外で異なり、海外の企業に日本での法令要求事項を知ってもらわなければならないことがあるのです。

加賀山 :それは日英翻訳ですね。全体としては英日の仕事が多いのでしょうか。

渡辺 :はい、いまは外資系の翻訳会社からの仕事を請け負っているため、英日がほとんどです。

加賀山 :とくに翻訳案件の多い国などはありますか? 直感的には、医療だとドイツとか強そうですが。

渡辺 :アメリカもあるし、ヨーロッパもありますね。アジアも最近がんばってはいますが、欧米企業の支社の活動が多いという印象です。
 TQEという実務翻訳の検定(サン・フレア アカデミー)を受けて合格した際に、担当の方と仕事の受注などについて面談がありました。そのとき、医療関係であれば、日本より海外の翻訳会社に登録すると英日の仕事が入りやすいというアドバイスをもらったので、登録したところ、たしかにたくさん入ってくるようになりました。

加賀山 :いまは何社ぐらいの翻訳会社とやりとりしていますか?

渡辺 :日系企業6社とアメリカに本社があるグローバル企業2社ですが、後者の外資系2社からの仕事でいまはほとんど手一杯です。仕事が減ってきたらまたどこか開拓しようかと思っています。

加賀山 :その2社はどうやって見つけました?

渡辺 :アメリアの求人です。そこからトライアルを受けて、採用していただきました。内容的には、どちらもおもに治験関連と文献の翻訳です。

医療機器の会社からフリーランスへ

加賀山 :働き方のサイクルはどのような感じなのでしょう。大規模な治験になると、納期は数カ月といったことも?

渡辺 :基本的には何人かで分担しますので、納期はそれほど長くありません。翻訳会社としても、大きな案件をひとりの翻訳者にまかせることは、スピードやリスク管理の面からも避けたいようで。そうなると、納期は1〜2週間とか、少量であれば翌日までといったこともあります。

加賀山 :そんなに急ぐのですか。

渡辺 :ええ。共同作業用のソフトウェアの使用で、分業した訳文を統合しやすくなったという背景もありますね。海外の翻訳会社では、機械翻訳を取り入れているところも多いので、その日本語を修正するポストエディットの仕事もけっこうあります。

加賀山 :報酬の支払いは、1ワードいくらという単位ですか?

渡辺 :だいたいワード単位ですが、1案件でいくらという契約もあります。ただ、それもワード数で換算するとそれほど変わりません。全体として、昔より単価は下がっていますね。

加賀山 :いずこも厳しい……。そもそも医療関係に進もうと思われたきっかけは何でしたか?

渡辺 :話せば長いのですが(笑)、20代半ばに結婚して会社を辞め、そこからアメリカに移りましたので、一度キャリアが途切れてしまったんですね。日本に帰ったらまた仕事につきたかったので、アメリカでは大学にかよって英語を学びました。帰国後、社内翻訳・通訳の仕事を探して就職した先が、たまたま医療機器の会社だったのです。
 すると、職場が合っていたのか、医療の魅力に取りつかれました。あらゆることが目新しく、興味が湧いて、楽しかった。本当はそこでずっと働きたかったのですが、派遣社員だったので、次は正社員として別の外資系医療機器会社の安全管理部門に転職しました。ところが、そこで社長秘書職に異動になりまして、やはり現場に近いほうが楽しいと気づきました。
 別の医療系の会社への転職も考えましたが、思い切って自由を取ることにしました。まえの会社から翻訳の仕事をまわしてもらえる見通しがあったことも、後押しになりました。

加賀山 :フリーになられてどのくらいですか?

渡辺 :2016年に退社しましたから、4年ほどですね。

加賀山 :そこから仕事は途切れなく続いていますか?

渡辺 :まえの会社の事情で大きな仕事があまり来なくなり、去年1年はちょっと苦しかったのですが、その後アメリア経由でいまの翻訳会社とのおつき合いが始まり、安定してきたので、少しほっとしたところです。

医療翻訳はAI向きではない?

加賀山 :こういう専門的な分野になると、日頃の情報収集はどうしておられるのですか?

渡辺 :『日経メディカル』という雑誌があります。オンラインで登録しておくと毎日新しい情報が入ってくるので、それは欠かさずチェックしています。医療関係者や医療翻訳の知り合いとも連絡を取り合います。あとは、日々の新聞やテレビなどで新しい情報があれば自然と目に入りますね。

加賀山 :最近、医療関係のドラマとかよくありますよね。

渡辺 :ドラマは突っこみどころが多くて(笑)、おもしろいです。

加賀山 :やはり専門の方が見るとそうなんですか。今後、翻訳で取り組んでみたい分野などありますか?

渡辺 :まったくいまの専門とはちがうのですが、文芸翻訳をやりたいという夢があるんです。もともとは文学部で、古事記・日本書紀が専攻でしたから。小さいころから本が好きで、文学への憧れがありました。しかし、生活の手段としては実務翻訳だったということですね。

加賀山 :実務翻訳で収入のベースを作って、出版翻訳に進まれる方もけっこういらっしゃいますよね。じゃあ、ふだんから小説もよく読まれる?

渡辺 :つねに息抜きで読んでいます。時代物が好きなんです。

加賀山 :分野に関係なく、翻訳者には読むこと書くことが好きな方が多いと思います。医療関係の翻訳の独自性というか、ほかの翻訳とちがうところはありますか?

渡辺 :単純に言えば、「美しい」文章より「正しい」文章をめざすことだと思います。健康や命にかかわることなので、正確さは必須です。また、統計解析などは、用語も特殊ですし、ふつうの単語が医療では特殊な訳語をあてることもありますから、やはり医療分野ならではの慣れは大切です。
 ただ、以前、『ナショナルジオグラフィック』の翻訳講座を私自身が受講したときに指摘されたことですけど、正確さを重視するせいで、おそらく事実を訳文のなかに全部詰めこむ癖がついているんですね。何も足さず、何も引かず、全部同じウェイトで訳してしまうような。そうすると、ノンフィクションなどでは、臨場感がない、風景が思い浮かばないと言われる。ですので、正確でありながら訳文の日本語のレベルも上げることをつねに考えています。
 こうしたことをマスターすれば、じつは医療は実務翻訳のなかでもかなり入りやすい分野じゃないかと思います。

加賀山 :それは意外な……。

渡辺 :もちろん医療系に抵抗がなければです。この方面に興味があって、新しいものに対する好奇心があれば、向いているんじゃないでしょうか。専門用語はむずかしくても、英語自体はさほどむずかしくなくて、調査力が重視される分野ですから。

加賀山 :なるほど。日本の市場に出ていない最先端のものを訳すわけですからね。

渡辺 :今後、機械翻訳が増えたとしても、機械にはわからない部分も多いのではないかと思います。とくに学術論文などは、新しい発見について書いてあるので。

加賀山 :医療特有の決まった言いまわしがあるでしょうから、機械翻訳に向いていそうですけど、内容が新しすぎてAIも困るわけですね。

渡辺 :そういう傾向はありますが、定型も多いのでおっしゃるとおり、機械翻訳にも向いていると思います。私自身はあまり機械翻訳について心配していなくて、AIができるところはやってもらってもいいんじゃないかと考えるほうです。ポストエディットの仕事は増えていて、私もときどき請け負います。

加賀山 :AIのレベルはどうですか?

渡辺 :いまのところ、うまいなと思うときもありますが、全体的にはまだまだのような気がします。

加賀山 :今後、医療翻訳をめざしたい方に、アドバイスをお願いできますか?

渡辺 :専門知識は欠かせませんので、医療の経験がない場合には、やはり翻訳学校などの専門の授業を受けるのが早道だと思います。
 薬事法も大切です。私は会社員時代に学びました。統計解析の勉強もしておきたいですね。計算式の中身まで理解する必要はありませんが、どういう場合にどういう計算をするといったことを知っておくと役立ちます。
 一般の方も受けられる医療関係のセミナーなどもありますから、ふだんから接しておくと情報収集になりますよ。

■個人的にまったく知らない分野でしたので、とても興味深くお話をうかがいました。質問攻めにしてしまってすみません。近い将来、文芸の翻訳書でお名前を拝見することがありますように。

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