【アメリア】Flavor of the Month 62 米谷敬一さん
  読み物
Flavor of the Month
<第62回>  全4ページ


本を読み、朗読や落語のCDを聞いて日本語力を磨く

坂田
:ずっと予備校講師の仕事と並行して行っているのですか?

米谷:いいえ、2冊目の訳書『世界の心理学50の名著』の仕事が決まったときに予備校講師の仕事は辞めて、以来翻訳専業です。

坂田:2冊目が決まった時点では、まだ翻訳での収入が安定していたわけはないと思いますので、会社を辞めるのは結構思い切った決断かと思いますが。翻訳をやりたいという気持ちが強かったということでしょうか?

米谷:自分から勇んで辞めたわけではありません。たまたま2冊目の本が決まった直後に、次年度以降の契約を打ち切るという通告を受けたんです。その数年前から中高年の講師を中心に人員削減が始まり、仕事量を減らされていた私もある程度覚悟していました。餓死しないだけの蓄えもあったので、当分の間は余計な仕事をせずに翻訳に専念してみよう、とこの時点で決めました。「捨てる神あれば拾う神あり」というか「天の配剤」というか、いいタイミングで翻訳の仕事が入って助かりました。おかげで「失業」せずに転身できましたからね。
  ただ、2冊目が決まったときは、これから仕事の依頼がどんどん来るだろうと期待していましたが、それは甘かったですね。恥ずかしい話ですが、こちらからは何もせず、ただボーっと待っていれば同じ出版社から継続的に仕事の依頼が来る、実績が認められて他の出版社からも注文が来る、と思っていました。思い上がりもいいとこですね。山岡洋一さんの『翻訳とは何かーー職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)やメールマガジン『翻訳通信』でこの業界の厳しい現実をある程度知っていたにもかかわらず、甘く見ていたんだと思います。確かに4冊目と5冊目は以前の仕事を評価していただいた結果、オーディションなしで依頼された仕事なのですが、「どんどん」仕事が来たとはとても言えません。また、今後も受注できるかどうかの保証はありません。

坂田:最新の訳書を紹介していただけますか。

米谷:今年(2010年)4月に出た『ピープル・スキル』(宝島社)という本なのですが、これは『世界の心理学50の名著』の中で紹介されている本の一冊です。宝島社の編集の方が『世界の心理学50の名著』の訳文を気に入ってくださって、「同じ調子で訳してほしい」というお誘いをいただきました。自分の仕事を評価してくれる人がいたことがうれしかったですね。今まではプロダクション経由の買取の仕事でしたが、今度は出版社との直接契約で、増刷されれば印税が発生します。どれほど売れるかはわかりませんが楽しみです。

坂田:「訳文を気に入ってくださった」というのはとても嬉しいお話ですね。訳文、あるいは日本語に対して、強い思いがありますか?

米谷:ある作家の「翻訳がまずいと思えば、即座にその本を捨てるのが原作者に対する礼儀だ」という言葉を常に肝に銘じています。実際、翻訳物のミステリーなどをよく読んでいたころは、訳文が読みにくい本はどんどん捨てていました。もっとも、自分が翻訳する立場になってからは簡単に捨てられなくなりましたが。なにより大事にしているのは、言葉のリズムです。少なくとも私の場合、音読してひっかかるような部分は誤読や誤訳の可能性が高いので、特に注意しています。

坂田:日本語を磨くために何かしていること、心掛けていることはありますか?

米谷:大量に読み大量に訳しているうちに「少しましになってきた」という気はしますが、特別なことはしていません。言葉の使い方やリズムをなるべく意識して本を読むように心がけているのと、文学作品の朗読や落語のCDを大量に借りてMP3プレイヤーで聴いているくらいですね。自分の日本語表現を真剣に見直さざるをえないという点で、やはり「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」が一番有効じゃないかと思います。上訳であれ、下訳やリーディングであれ、お金をもらう以上はいい加減な文章を書くわけにはいかないですから。
  日本語を磨くためというより、翻訳の勉強として原書と翻訳書をつきあわせてみることはよくやりました。池央耿さんが訳したロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』やピーター・メイルの『南仏プロヴァンスの12か月』などは、今でもときどき読み直して、その職人芸を味わっています。とてもまねはできませんが。

前へ トップへ 次へ