【アメリア】Flavor of the Month 68 金智恵さん
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Flavor of the Month
<第68回>  全5ページ
金智恵さん

第68回
子育てとの両立を目指し 翻訳者への転身を決意 100社以上の翻訳会社に応募しました金智恵さん
Kim jihye


日韓のバイリンガルで最初に就いた仕事が翻訳・通訳
坂田:今回のゲストは日韓翻訳の仕事を始めて2年の金智恵さんです。韓国生まれの金さんは、2歳の時にご両親の仕事の関係で日本にいらっしゃったそうです。日本で長く暮らし、日本語と韓国語のバイリンガルであるがゆえに、最初は翻訳を仕事としてあまり意識していなかったとのこと。そんな金さんが、なぜフリーランスの在宅翻訳者になったのか、お話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

: よろしくお願いします。

坂田: 2歳のときに日本にいらっしゃったということですが。

: はい、両親の仕事の都合で東京に来ました。韓国人学校に入学したので、学校でも家でも基本的には韓国語を使い、それ以外の生活で日本語を使う、というかたちでした。結局、両親は日本に永住することになり、父としては私に、韓国の大学に進学して教員の資格を取り、日本に戻って韓国人学校の教師になってほしいと思っていたようです。私はというと、大学進学が目前に迫ってきても、将来何になりたいのか、自分が何をしたいのかがわからなくて、学部をすぱっと選ぶことができず悩んでしまったんです。でも、願書を出す期限は迫ってきます。仕方がないので、ひとまず父の言うとおりにしようと、韓国の大学の初等教育学部に進学を決めました。

坂田:では、大学の4年間は韓国で過ごしたのですね。

:はい、そうです。それで、小学校の教員免許も取得したのですが、4年間勉強する中で、どうも先生という職業は私には向いていないようだと思えてきて……。それに、大学が終わってすぐに日本に帰るのではなく、もう少し韓国で生活したいという気持ちもあって、韓国で就職先を探しました。その時もまだ、これがしたい、という目標がなかったので、とりあえず日本語と韓国語ができるから言葉を使った仕事ならできるんじゃないかと思い、韓国にあった日系企業に就職しました。

坂田:そこでは、どんな仕事をしましたか?

:そこは、韓国のデパートやショッピングセンターに対してコンサルティングをする会社でした。日本人社長と日本人スタッフ、韓国人スタッフがいましたが、社長は韓国語ができません。私は社内での通訳や、外部から来るファックスからメモ書きにいたるまでのあらゆる翻訳をしていました。

坂田:日本語、韓国語が流暢なうえに、日本の文化にも詳しい金さんに、まさにピッタリの仕事ですね。その会社にはどのくらい勤めましたか?

:実は途中で、その会社のスタッフが独立して作った別の会社に移ったのですが、そちらの会社でも仕事の内容はほぼ同じで、トータルで5年間勤めました。

坂田:5年間勤めた後は?

:2番目の会社の社長はインテリアデザイナーで、コンサルタント業務もインテリア関係が主でした。そこで働くうちに、「私も設計やインテリアの仕事をしてみたい」という気持ちが芽生えたんです。設計を学ぶなら日本のほうが進んでいると思ったので、日本に戻って専門学校に通おうと決心しました。

坂田: 初めて自分がやりたいことが見つかった、という感じですね。

:そうなんです。日本で夜間の専門学校に通い、昼間は設計事務所でアルバイトをしました。学校を卒業した後は、そのまま、その設計事務所に就職して、アルバイトから含めるとトータルで8年間、フリーランスの翻訳者になると決心するまでその事務所で働きました。

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