【アメリア】Flavor of the Month 68 金智恵さん
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Flavor of the Month
<第68回>  全5ページ


子どもの病気を機に家でできる仕事を模索

坂田:設計という自分のやりたい仕事を見つけて、希望通りの職種で就職できたのに、どうして翻訳者に転向することになったのですか?

:しばらくして結婚し、子どもができたので産休を取りました。子どもが生まれて職場復帰したのですが、それから間もなく子どもが肺炎になり入院することになってしまって。まだ6カ月だったので、母子共に入院することになりました。産休あけて間もなくだったのに、また半月ほど休んでしまって……。いったん退院できたのですが、翌月にまた入院。再び会社を休まざるを得なくなりました。会社のほうは理解があって、気にしなくてもいいよ、と言っていただいたのですが……。

坂田:いろいろと考えてしまいますよね。

:そうなんです。設計の仕事は担当のお客様と長期間にわたってのお付き合いになります。私が担当で、いろいろと細かい点まで打ち合わせをしていたのに、休んでいる間は別の担当者、ということになると、お客様に迷惑がかかります。「担当の金さんはいないんですか?」「金さんに伝えていたはずなんですけど」ということになりかねません。そういうことが重なると、私自身も会社に対して引け目を感じてしまいますし。

それに、これから先も子どもの具合が悪くなったりすることがあるでしょうが、そういうときに、できるだけ近くにいてあげたいと思ったんです。子どもが小さいときは夕方まで預かってくれる保育園などありますが、小学校に入ると昼過ぎには学校から帰ってきます。そのときにお母さんが会社員だと夕方まで子どもはひとりぼっち。そういうことも避けたくて。そのために体制を整えないといけないな、と思ったんです。私が家でできる仕事って何があるだろう、と考えたときに翻訳の仕事が思い浮かびました。

坂田:以前、韓国で翻訳や通訳の仕事をしていたから思いついたのでしょうか?

:そうですね。翻訳の仕事は以前やっていたころから嫌いではありませんでした。ただ、当時は翻訳が“特別な仕事”だという意識がなかったんです。日本人が日本語を使って仕事をするのは当たり前。私にとっては日本語も韓国語も日常的に使っている言葉だったので、それを使って仕事をしているだけ。プロフェッショナルというのは、設計とか、コンサルティングとか、そういう別のもののことだという感覚だったんです。でも、「子どものためにも家でできる仕事に切り替えなければ」と切羽詰まったとき、やはり私にできるとしたら翻訳しかないな、と思って。

坂田:ご家族など、まわりの反応はどうでしたか?

:実家の両親からは、「せっかく勉強して実績も積んできたのに辞めるなんてもったいない」と言われました。でもいろいろ考えた結果、家庭を守りながら仕事を続けていくためには翻訳の仕事のほうが相応しいと、私の中では割り切れていたので、設計の仕事を辞めることにまったく未練はありませんでした。

坂田:前向きな決断で、勢いがあったんですね。では、翻訳者になろうと決めて、それから具体的にどうしましたか?

:翻訳の仕事に関するコネは一切ないし、翻訳者の知り合いも一人もいなかったので、まずはインターネット検索で情報を集めることから始めました。「翻訳会社」「日韓」「韓日」などで検索し、最初は業界のこともよくわからなかったので、「随時募集をしています」と明言している会社だけに応募していました。

坂田:応募できる翻訳会社はたくさんありましたか?

:検索すると、翻訳会社は非常に多くヒットするのですが、「翻訳者随時募集」でなおかつ「経験がなくてもOK」というところは、かなり少なかったです。それでも、翻訳業界のことを何も知らなかった最初の頃は、応募して1社でも合格すればすぐに仕事がもらえるだろうと楽観的に考えていたので、あまり気にはしていませんでした。でも、インターネットでいろいろと調べて、私と同じように翻訳会社に応募している人の体験談などを見つけて読んでいくうちに、「応募したからといって仕事が来るとは限らない」ようだということがわかってきました。実際に、応募してからしばらくたっても連絡が来ないということもよくありましたし、連絡があってもすぐに仕事にはつながりませんでした。これはもう、募集している翻訳会社だけではなく手当たり次第あたってみるしかない、と思うようになりました。

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